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第41回 「人間の尊厳」をビジネスの羅針盤に 「人間の尊厳」 道田 悦代先生
2026.01.19
南山大学の「人間の尊厳」というモットーは、私たちが人間への敬意を常に掲げ、何度も立ち返るべき原点が何かを想起させてくれます。この尊厳を守るための具体的な仕組みが「人権」です。しかし、筒井(2022)が指摘するように、今では普遍的に思える人権という概念も、世界中で受け入れられたのは20世紀半ばになってからのことです。人権の尊重は決して自然に与えられたものではなく、先人たちの絶え間ない努力と葛藤を通じて築き上げられてきた意思の産物といえます。
人権という言葉は、個人にとってだけでなく、国家や企業にとっても極めて重要な意味を持ちます。国連が2011年に採択した「ビジネスと人権に関する指導原則(UNGPs)」では、国家には人権を「守る義務」があり、企業には(直接的な法的拘束力がない場合であっても)人権を「尊重する責任」があると明確に定義されました。
現代のグローバル経済において、企業活動の効率化が進む一方で、商品やサービスの背後にいる作り手の顔は見えにくくなっています。しかし、企業の活動は、自社の従業員のみならず、原材料を調達するサプライチェーンの先にいる無数の労働者によって支えられています。さらに、その影響は労働現場に留まりません。工場の操業や資源開発が、周辺コミュニティや開発途上国の地域住民の生活環境を脅かしていないかという点も、尊厳を守る上で無視できない課題です。企業の生産活動は、常に誰かの生活の場としてのコミュニティの中で行われているからです。
このように、企業は株主・従業員・顧客・地域社会・環境といった多様な「ステークホルダー(企業活動によって影響を受ける利害関係者)」に囲まれています。企業活動は利潤を増やすだけでなく、これらステークホルダーに配慮することを社会が企業に求めていくことが潮流になっています。日本には古くから近江商人の「三方よし」という思想がありました。「買い手よし、売り手よし、世間よし」という江戸時代からの教えは、関係者全員の幸せを願う取引のあり方を示しており、まさに現代の「ビジネスと人権」の精神に通じています。
しかし、そのような理念をもってしても、すべての企業が遠く離れた国の強制労働や児童労働の実態を把握し、対策を講じることは容易ではありません。調査には多大なコストがかかり、一企業の努力だけでは限界があるのも事実です。そこで重要になるのが国家の役割です。国家の義務とは、単に自らが人権侵害をしないことだけではありません。企業が人権を侵害しないようなルールを作り、人間の尊厳が実効的に保障される法律や制度を整備し、企業の取り組みを後押しすることにあります。
では、企業の努力と国家の制度があれば十分でしょうか。私たちの便利な生活が、誰かの尊厳を削ることで成り立っているということがあれば、その矛盾を解消する最後の鍵を握るのは、他ならぬ私たち消費者です。企業が人権尊重のためにコストをかけ、透明性を高めようとしても、私たちが安さや便利さだけを唯一の基準に選び続ける限り、企業の行動を根本から変えることは困難です。人権という概念が長い年月をかけて育まれてきたことを思い起こし、日々の生活の中で「この商品の選択は関わる人々の尊厳に繋がっているか」を問い続けることこそが、「人間の尊厳」を真に社会の基盤として根付かせる力になるのではないでしょうか。
もし「ビジネスと人権」のテーマにさらに興味をもった方は、参考文献に挙げた山田(2025)を読んでみてください。今回のエッセイでは紹介しませんでしたが、私もこの本の第2章で企業の人権尊重の取り組みを支える仕組みとしての認証制度について、その意義や限界について書いています。
参考文献
国連人権理事会. (2011). ビジネスと人権に関する指導原則 (UN Guiding Principles on Business and Human Rights).
https://digitallibrary.un.org/record/720245?v=pdf
筒井, 清輝. (2022). 『人権と国家:理念の力と国際政治の現実』. 岩波書店.
道田, 悦代. (2025). 労働・人権とサステナブル認証. 山田美和 (編),
『ビジネスと人権:グローバルトレンドとアジア』 (第2章). アジア経済研究所.
山田, 美和. (2025). 『ビジネスと人権:グローバルトレンドとアジア』. アジア経済研究所.
https://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Books/Jpn_Books/eBook/202512_01.html