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第30回 人間の尊厳―誰のための尊厳? 「人間の尊厳」森泉 哲先生
2024.07.30
昨年8月末から1年間研究休暇をいただき、アメリカ・ワシントン州シアトルのワシントン大学で客員研究員として過ごしてきました。帰国まで残り1か月となったこの機会に、こちらで考えた人間の尊厳について記したいと思います。
アメリカ社会では、人種、民族、ジェンダー、性的志向性、障がい、世代など多様な人々が暮らしており、お互いが心地よく暮らせるような努力がなされています。特に近年の傾向としてジェンダーやセクシュアリティに関してはより敏感になっていると感じます。例えば、自己紹介の場面では "My pronoun is he/they" といったようにジェンダーや性的志向性のアイデンティティを先に表明することが一般的です。また、SNSでも自分の名前とともにshe/herなどと代名詞を記しておくことが広く行われています。多様な社会であるからこそ、相手に自分の大切な価値を先に伝えることで、先入観で人を判断するリスクを低減し、円滑なコミュニケーションを図るための習慣だと解釈できます。10数年前にもアメリカに留学していたことがありましたが、その時にはこのような習慣が全くありませんでしたので、大きな社会変化を感じました。
社会変化はどのようにして生じるのでしょうか。社会には誰のルールに従うのかという可視化されていない権力格差が存在します。これまでマジョリティによって決められてきた暗黙の社会的規範に対して、声が届かないと感じた人々が異議を唱え、そのような声に応じて政府や企業などが取り組みを進めることで、社会に変化が生じてきたと考えられます。この数年のアメリカ社会では、ブラック・ライヴズ・マターによる黒人差別の可視化やLGBTQ+コミュニティの権利向上のための活動によりDiversity, Equity, Inclusion(DEI)の動きが広まり、多様性や集団間の関係性や社会のあり方への理解が深まっています。
6月はプライド月間であり、シアトルでは第50回目となる大きなパレードが開催されました。シアトルタイムズによると、50年前の1974年には、最初は40名からスタートしたものだったとのことです。今年は、約300もの団体によるパレードがダウンタウンの中心からシアトルのシンボルであるスペースニードルまでの数キロを3時間以上かけて行進し、沿道を埋め尽くす見物客が手を振り歓声を上げていました。その様子を見て、50年間でLGBTQ+に対する社会の認識は大きく変容し、多様性を尊重する社会に移行していると実感しました。
そもそもプライド月間は、1969年6月28日にニューヨークで発生したストーンウォール事件がきっかけとなりアメリカで広く定着したものです(Bruce, 2016)。この事件は、同性愛が違法とされ、LGBTQ+の人々が日常的に差別や暴力にさらされていた当時のアメリカ社会において、長年抑圧されていた怒りが爆発した出来事と考えられます。警察がゲイバーを取締り、「犯罪者」として逮捕者が多数でたことから、コミュニティは団結し、自分たちの権利を求めて立ち上がりました。この事件をきっかけにLGBTQ+の権利を求める社会運動が盛んになりました。当時は、性的マイノリティの人々は「犯罪者」「精神障害」「異常」と考えられ、様々な差別や暴力などを受けたりしていたので、自分の性的アイデンティティを告白すること、パレードに参加することは相当勇気がいったことは想像に難くありません。
このような視点から尊厳を捉え直すと、社会的マイノリティの権利や立場を認めるために声をあげる人々や、立場の違いを乗り越えて他者の尊厳を守ろうとする人々や団体の影響力の強さを感じます。ただし、性的マイノリティだけでなくその他の多様性に関する課題においても、マイノリティへの共感の欠如や差別、暴力、ヘイトが存在する現在のアメリカ社会は、分断が進んでいるとも形容されます。日々起きる様々な事件を見ると、まだまだ道半ばであると感じざるを得ません。
立場の異なる他者の尊厳を認めることは、結果として自己の価値や尊厳を意識することにつながるかもしれません。常に他者を参照しつつ評価して、他者を羨ましく思ったり、自分に欠乏感を感じたり、自分の正当性を主張したり、時には他者を見下していることもある自分。私も日々反省しきりですが、他者と比較するのではなく自分の存在をありのまま認めることが、他者のありのままの価値を認めることにもつながるような気がします。現在の日本社会も多様性への課題は山積ですが、今後、自他ともに多様な人々がお互いにさらに生き生きと暮らせる社会になることを期待しています。
Pride Monthのラッピングを施された市バス