南山大学 国際教養学部 Faculty of Global Liberal Studies

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第29回 なぜタンクの壁を叩かなかったんだ! 「人間の尊厳」平岩 恵理子先生

2024.07.18

 前回は米国に移住したモン族が登場する映画(グラン・トリノ)を紹介しましたが、今回も移動する人々について書きます。「太陽の男たち」。映画を見たいのですが、残念ながら機会がないので原作を読みました(1963年)。著者はガッサーン・カナファーニー。河出文庫のカバーによれば、「1936-1972。パレスチナ生まれ、12歳のときユダヤ人武装組織による虐殺を生き延び難民となる。パレスチナ解放運動で重要な役を果たすかたわら、小説、戯曲などを執筆。36歳の若さで自動車に仕掛けられた爆弾により暗殺される。遺された作品は現代アラビア語文学を代表する傑作として評価されている。」とあります。

 「太陽の男たち」は、3名のパレスチナ難民の男たちがクウェイトに密入国を試みる物語です。難民としてヨルダンで暮らす彼らは、それぞれ家庭の経済事情や政治活動がらみでクウェイトへ行って稼いだり逃れたりするしか道がない。イラク南部の港町バスラで彼らは出会い、何とかクウェイトまで手引きしてくれるブローカーを探しますが足元見られて金銭的に折り合わない。そこにクウェイトのお金持ちが所有する給水トラックの運転手として雇われている男が話を持ち掛けます。空の給水トラックでクウェイトに戻るところだから、お前たちを運んでやると。自分が出国手続きと入国手続きをしている間は空のタンクの中に身を潜めていればいい、灼熱の中(50℃を超える!)だが6分間は我慢できるだろうと。話がまとまり、4人の乗ったトラックは灼熱の砂漠をイラク側の国境に向けてひた走ります。運転手が出国手続きをしている間、3人は「地獄だ、焼けるような暑さだ」のタンクの中。ノロノロした役人の手から書類をひったくって車に戻り、エンジンかけて灼熱の道をすっ飛ばす。検問所から離れたところで車を停め、ギリギリのところでミイラのような顔をした3人をタンクから引きずり出す。次の関門はクウェイト側の国境。3人をタンクに潜ませた後、入国手続きをさっさと終えたい運転手に、顔なじみになっていたクウェイト役人はあれやこれやとしょーもない無駄話を持ち掛けてちっとも入国スタンプを押してくれない。やっとのことで解放された頃にはすでに45分過ぎている。安全なところまで車を飛ばしてタンクの蓋を開けるが...。3つの穴を掘って葬ってやりたいがそんな体力は残っていない。誰かが見つけて葬ってくれることを期待しつつ道端に死体を放り出し、運転台に乗り込もうとする彼の足がふと止まる。叫び声をあげそうになる。暗闇の奥を凝視しながら彼の口から出た叫びは―「なぜおまえたちはタンクの壁を叩かなかったんだ...」「なぜだ、なぜだ...」。

 この物語に行きついたのは、「ガザに地下鉄が走る日」を読んでからでした。現代アラブ文学の研究者である岡真理さんの著書です。岡さんが長年関わったパレスチナの人々の声と現実を伝えてくれます。もちろん、ガザに地下鉄が走るわけがない。しかし、地下鉄が人々にとって自由に移動できる平和な社会を象徴する、そのイラストを描いたパレスチナの若者の願いが、そしてそれを聞いた著者の気持ちが、文字を通じて迫ってきます。また、恥ずかしながら、この本で初めて知って衝撃を受けたのが「ノーマンズランド」という言葉です。国を持たない人々(ノーマン)を囲む、何キロにも及ぶ緩衝地帯(ノーマンズランド)が存在する現実。国民としての権利を与えられず難民キャンプしか知らないパレスチナ人の少年が、鉄条網から一センチでも故郷に近いところの土を持ち帰ろうと必死で腕を伸ばすのは、そこが、パレスチナが、「人間になることができる」土地だから。筆者の岡さんは、以下のように書いています。

国民国家の空隙に落ち込んだノーマン。彼らは人権とも、彼らを守る法とも無縁だ。「法」も「人権」も、それは「人間(マン)」、すなわち「国民」の特権なのだということ。国民でない者は「人間」ではない、それが普遍的人権を謳うこの世界が遂行的(パフォーマティブ)に表明している紛うことなき事実であり、その事実が ――彼らが「国民」でないために「人間」ではないという事実、それゆえに人権や人間を護るべき法の埒外の存在であるという事実が ――露わになるのが、ここノーマンズランドだ。(p.17

 えっ...。国際労働力移動の研究では、人が国境を超えることが大前提です。たとえ不法であっても、危険を冒しても、壁があっても、移動の結果が思うようなものでなくても、少なくとも国を出て目指す国に向かうアクションを起こすことを前提としています。移動の自由を前提に、不法移民としてのリスクをコストとして組み込んだモデルはありますが、ノーマンズランドの存在を組み込んだモデルはありません。それもリスク、として捉えればそうなのですが、出国の自由すらない状況を想定できません。講義では、理論のうえでは移民は受入れ国の経済にとってプラスになるし、実証研究でも支持される場合が多いです、送出し国にとっても最新の研究では経済的にプラスになる可能性が示されています、と話をしますが、とは言え様々な軋轢を生むことも事実で、なぜ反移民を叫ぶ政党が指示を伸ばすのか?なぜ移民への視線が否定的になるのか?なぜ日本は移民を認めないのか?という学生の疑問の目に晒されても明確に答えられない情けない日々。そのうえ、人間になることができない人々にとって「人間の尊厳」とは?。人間になることができなくても、それでも誇りを失わない人々の姿を伝えてくれる本を読むしかありません。

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ガッサーン・カナファーニー著, 黒田寿郎・奴田原睦明訳(2017)『ハイファに戻って/太陽の男たち』, 河出文庫

岡真理(2018)『ガザに地下鉄が走る日』, みすず書房

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