南山大学 国際教養学部 Faculty of Global Liberal Studies

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第25回 多元社会の生き方 「人間の尊厳」 森山 幹弘先生

2024.04.09

私が訪れる外国は主としてインドネシアとオランダである。インドネシアは文字通り私の研究対象地域であり、1980年に最初に旅行者として訪れて以来、ほぼ毎年のようにフィールド調査、資料収集、国際シンポジウム、インドネシアの大学での授業、教育研究機関と協力関係について協議するなどの目的のために通い続けている。一方のオランダはそのインドネシアを150年の間(16世紀から数えて350年間とみなすこともあるが、植民地経営が本格的に行われたのは19世紀の初め頃からである)植民地化した国である。そのために、インドネシアに関する歴史資料、そして現在に至るインドネシア研究の資料が世界のどの図書館よりも充実している。その資料を目当てに資料調査を行うために1988年から現在まで、ほぼ毎年のようにオランダには足を運んでいる。

 その二つの国で、南山大学のモットーである人間の尊厳について、さまざまな局面において、その意味について考える機会がある。例えば、インドネシアもオランダも、日本の社会と比べると社会階層がはっきりと見えることである。日本においても持てるものと持たざるものを区別することで階層があることを指摘できるが、インドネシアは階層というものが日々の暮らしのあらゆる局面で見える。住宅地域、職業、服装や食事などを含む生活全般のスタイル、嗜好、言語などにおいて、極めて顕著な違いを見ることができる。それはオランダでも然りで、日本と比較すると明らかに社会階層が見える。住宅地域、生活様式、言語使用、文化様式、嗜好などにおいて顕著であり、カルチュラル・スタディーズがイギリスでの社会階層を問題視してきたにも関わらず、ヨーロッパ社会における階層は容易には解消されるものではない。

その一方で、世界最大のムスリム国であるインドネシアでは、日々の宗教の実践においては世俗的な社会階層は見えにくくなる。別の言葉にすると、神の前では全ての人が平等であることを認め合い、それぞれの人間の尊厳が尊重されていると言える。イスラームの礼拝においては、コーランの章句は翻訳されることなく、地球上の全てのムスリムが全く同じことばで祈る。また、インドネシアの強みの一つは多様な文化、宗教、言語、民族集団が一つの国民国家としてまとまりを維持していることである。その接着剤となっているのはインドネシア語という国(家)語であるが、人口の90%弱が信奉するイスラームが果たす役割も大きい。自分と違う他者を尊重し、相違を認め合う多元主義を1945年の独立宣言以来、維持しているインドネシアにおいて、さまざまな観点から人間の尊厳について学ぶことが多い。

森山幹弘

イスラーム歴1445年ラマダンのインドネシアにて

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