南山大学 国際教養学部 Faculty of Global Liberal Studies

深めて!南山GLS 学生の活躍 GLS教員リレーエッセイ

第22回 教員リレーエッセイ 林 徳仁先生

2023.02.28

コロナ禍での「ホーム」の変化

林 徳仁

みなさんにとって「ホーム 」はどこですか。どのように自分の「ホーム」を説明しますか。おそらく、「生まれた場所」、「家族や友達が住む場所」、「心が落ち着く場所」など、自分なりの「ホーム」を決めている、あるいは、これから決めていくことになると思います。「ホーム」は、私にとっては、初めて日本で海外生活を始めた13歳から今まで考え続けてきた、人生のテーマでもあります(私にとっての「ホーム」はエッセイの最後で説明します)。それはたぶん、韓国、日本、英国、米国などで生活を送るなか、周りの人たちから「将来どこに住みたいの?」、「どの国で住むのが楽しい?」といった質問を受け続けてきた結果、どちらかの場所を自分の「ホーム」として選択しないといけないのかという悩みや反発が影響したのかもしれません。個人的な経験や葛藤から、その「ホーム」を研究テーマに決めました。そのため、自分と同じく国境を越えて生活をしている移民のコミュニティーに直接参加し、聞き取り調査を実施してきました。研究の当初は、みんなの経験から、どのように「ホーム」を考えたらいいのかという答えを見つけたかっただけかもしれません。

そんな研究の日々を過ごしている間、皆さんも経験したように、新型コロナウイルスが社会の人々の行動や社会心理に大きな影響を与えました。私がインタビューをしてきた人々は、コロナ禍で「ホーム」についての考えが変わってきたようです。例えば、以前のインタビューでは、10年以上住んでいる日本が今や「ホーム」だと思うと答えた人が、やはり「ホームは、親が住む母国だと思う」と気持ちに変化があったことを話してくれました。その背景には、約3年間、家族がいる母国に帰れなかった空間的・地理的断絶がありました。

私もその方たちと同じく、約3年間、韓国に戻れませんでした。そんななか、昨年、韓国の祖父と話していた時、88歳の祖母が私のことを、「いつ、家に帰ってくるの」、「もう一度、会いたい」と何度も話したと聞かされました。初孫である私に無限の愛を注いでくださった祖母の言葉が、心に刺さりました。すぐにでも韓国へ帰国したいと思いましたが、それも叶いませんでした。なぜなら、コロナ禍での移動で、日本の家族や仕事に影響を及ぼすことを心配したからでした。そのような状況に遭遇した時、「もしかすると日本がホームになってきているのかな」と思うようになりました。と同時に、「祖母や家族と過ごした韓国もホームであり続けている」という感情にも気づきました。考えてみれば、「ホームはどこ?どうして、ホームなの?」という問いに正解はなく、私にとっては、韓国も日本も、これまでの経験や家族との思い出がよみがえる「ホーム」だったのです。

移民研究者たちは近年、「ホーム」を国家により固定された、境界がある、閉ざされた場所とみなすことに疑問を投げかけています。その代わりに、「ホーム」とは時間と空間を越えて人々と場所を拡張し結合する機能を持つ概念だと解釈されています(Brettell 2006[1]。これまでの国際移動の経験とコロナ禍の3年間によって、一つの場所をホームとするアイデアに疑問を持ってきたことを再確認しました。つまり「ホーム」は、私の場合、母国の韓国、現在の生活基盤を置く日本、留学をしてきた米国や英国など「複数」存在し、これまで過ごした時間や空間を感情で認知・結合する機能を持つ、国際移動を経験した人々を支える「アイデンティティ」の拠り所になる概念だと考えます。

みなさんにとって「ホーム 」はどこですか。どのように自分の「ホーム」を説明しますか。

[1] Brettell, C. (2006). Introduction: global spaces ⁄ local places: transnationalism, diaspora, and the meaning of home. Identities 13 (3), pp. 327-334.

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