南山大学 国際教養学部 Faculty of Global Liberal Studies

深めて!南山GLS 学生の活躍 GLS教員リレーエッセイ

第21回 教員リレーエッセイ 林 愼将先生

2023.02.20

夢の国

林 愼将

 東京ディズニーリゾート (TDR) が大好きです。あそこは社会とは別のルールで動いているからです。例えば僕が道端で見知らぬ人に手を振ったら、単に不審者でしょう。しかし、TDRでポップコーンを売ってるキャストの人に手を振ると振り返してくれるのです。ここは本当に夢の国だ、と感動しました。社会とは別のルールで動いている以上、TDRではTDRのルールに従わなければなりません。夢の国で恥ずかしがって被り物を被れないような人はダメです。ディズニーシーのパーク内移動電車に乗ってるとよくありますが、他の人から手を振られて振り返せないようでもダメです。

 TDRが夢の国である理由は、非日常世界だからなのは間違いないでしょう。皆そこで、社会で見られぬ夢を見るのです。

 さて、そう考えるともう一つこの世には夢の国があります。何を隠そう学問世界: アカデミアです。古くから、芸術家や研究者世界には象牙の塔というメタファーが用いられてきました。世間から隔絶した世界にこもって自分達の興味関心を追求するという意味です。今は研究も社会への貢献が必須だなんて言われて、このメタファーはあまり良い文脈では使われませんが、僕は結構好きです。アカデミアもTDR同様、非日常の夢の国であることがよく表されているからです。学会は行列必至のアトラクション、教員の研究室はキャラクターと触れ合えるグリーティングゾーン、大学の講義は参加のために抽選が必要で、良い席のために場所取り競争が起こるパレード/ショーなのです (パレードは前の方、講義は後ろの方が人気という違いはありますが)。ミッキーはパーク内で、同時刻に二ヶ所別の場所には現れないそうですね。教員も同じです。大学構内で、同時に二ヶ所に現れることはありません。皆さんの夢を壊さないためです。話は脱線しますが、学生の皆さんは教員を人間だとは思っていません。学生さんは教員の似顔絵を描きます。友達の似顔絵を描くのかと尋ねると、描かないそうです。では他になんの似顔絵を描くのかと尋ねると、ミッキー等のキャラクターなら描くそうです。このお話も、教員は人間よりディズニーキャラクターに近い存在であることを示す証拠の一つです。

 TDR同様、アカデミアも社会とは異なる論理で動く非日常世界です。どのような論理かというと、文字通りの論理です。(少なくとも日本の) 日常社会は論理に従って動いてはいません。

 これを書いてる時点で気になったちょっと前のニュースとして、淀川河口にクジラが迷い込んだものがあります。死後海に沈められましたが、その経緯として、市長が会見で「海に帰してあげたい」と言っていたそうです。それを知って、博物館から引き取りたいみたいな声も上がっていたそうなのに、すごく身勝手な人間のエゴ、或いはその場限りの安っぽい感情論で社会が動いている (或いは為政者が、市民の納得のためには感情論が最も有効だと考えている) ことにとても残念な気持ちになったというか、あぁ日本という国は今後、(論理とか学問とか科学とかを大事にするのではなく) こういう方向に進んでいくんだなぁ、と思いました。まぁでも政治でもビジネスでも今に始まったことではないし、こんなことは日常茶飯事でしょう、国会答弁や会見で、例えば世間で問題だとされたことに対して何も筋が通っていない姑息な言い訳、陳腐な弁明を聞くことはよくあるでしょうし、ビジネス組織で、上からの鶴の一声で、何の合理的理由も無いことが決まったりするお話も耳にします。僕はそういう、上の人が言ったことなら論理が破綻しててもそれで進むということに納得ができず、納得できないと前へ進めない人間なので、社会には向いていないなと思いました。この「納得は全てに優先する」考え方は、元は漫画『ジョジョの奇妙な冒険 Part 7 スティール・ボール・ラン』の台詞からですが、僕の行動指針の一つです。漫画だからって馬鹿にできません。何から学ぶかよりも何を学ぶかです。TDRのパレード/ショーからも、大学の授業もかくあるべきなのかもしれない、と思ったりもしています。僕は頭が学問モードになると一気につまらなくなる人間なので、現状講義は全然面白くないのですが、パレード/ショーを見習って、そのうち飛んだり跳ねたり歌ったりして講義をやってみせます。

 話がまた脱線しましたが、社会は論理によっては動いてないという話でした。一方、我らが夢の国、アカデミアは論理で動きます。アカデミアは、著名な研究者が言ったことだから正しいというわけではありません (お前のやってる学問は本当にそうなのかと思われそうでもありますが)。僕みたいな若手研究者でも、著名な研究者に反論できますし、それが正しければ受け入れられます。例えば、Nobel disease (ノーベル症) なんて言葉があります。ノーベル賞を受賞した研究者が、後年非科学的な考えに傾倒することを揶揄した言葉です。これも、科学が上手く回っていることの証左であろうと思います。どんなに過去偉大な発見をした人も、論理のルールから外れたことを言えば、Wikipediaに汚れた晩節が記載されることになるのです。

 アカデミア (僕は言語学しか知らないのですが他の分野も同じだと思います) は、その理論を提唱した人が偉い人かどうかではなく、1. 理論はデータをきちんと説明しているか、2. 論理的かどうか、3. 理論の美しさ (単純性) の3つで評価されます。それを保証するのが査読システムで、論文が出されると、それが論文誌に載せるのにふさわしい論文か、著者の名前が伏せられて審査されるため、誰がその理論を提唱したかは無関係に評価できるというわけです。社会と違ってすごくルールが単純明快、論理も筋も通ってます。なので、僕はアカデミアが大好きです。

 皆さんの中にも、社会のルールに対して気持ち悪さを覚える人もいるでしょう。清濁併せ呑んで、喉元過ぎれば熱さを忘れられる器用な人は良いのですが、僕みたいに、納得がいかないことを飲み込んでしまうといつまでも消化不良、お腹の底に澱として溜まってしまうような人は是非アカデミアに来てください。稲垣足穂もびっくりの幻想世界が広がっています。アカデミアでのあなたの夢は、きっと社会とは違うでしょう!

林愼将先生 画像.jpg

夢の国でウォルト・ディズニーになる林 (2017)

当時は働き口の無い大学院生だったので、一年でどれくらい髭が伸びるかの実験に明け暮れる日々でした。

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