深めて!南山GLS 学生の活躍 GLS教員リレーエッセイ
第19回 教員リレーエッセイ 北村 雅則先生
2023.02.01
日本語を通して見る国際化
北村雅則
2020年に世界を突如襲った新型コロナウィルスの流行は、この文章を書いている現在(2023年1月)においても収束してはいないものの、共生の道筋が見えてきた。流行当初、各国が国境を閉ざし往来をなくしてしまった結果、世界の諸問題をターゲットとする国際教養学部の学生たちや教員は日本に閉じ込められ、なんとも言えない不安や鬱屈した気持ちを持ちながら、日々オンライン授業と格闘していた。
そんな中、2021年4月から2022年8月まで研究休暇をいただいた。研究休暇は学外の機関で研究に専念できる時間となる。海外に出ることが難しかった時期というのもあるが、国際教養学部の教員の中では異色の、日本語や日本語を中心としたコミュニケーションを専門とする唯一の人間であるため、旧知の先生が勤める日本国内の大学に受け入れていただき、研究活動をしていくこととなった。そこでは久しぶりに学生の立場としてゼミに参加した。ゼミに参加していく中で、学生生活を懐かしく思い出したとともに、ゼミ生の半数以上が留学生という環境の中、留学生の日本語レベルの高さに本当に驚いた。大学院生だったということもあるが、口頭発表や質疑応答における話し言葉も発表資料の書き言葉も完璧。日本人学生と遜色のないレベルである。
これは大学院の留学生で、日本語教育やコミュニケーション等を専攻しているという特殊な事例であり、一般的な話ではない。しかし、日本語に堪能である彼ら彼女らであっても、日本という異文化の中において、特に来日当初の生活やコミュニケーションにはそれなりの苦労を感じた様子がうかがえた。やはり語学力が相当なレベルにあっても異文化に適応するのは難しいようだ。
2022年9月、研究休暇を終え南山大学のキャンパスに戻ってくると、キャンパス内を歩くたくさんの留学生を目にした。水際対策の緩和によって、ようやく日本に来ることができたのだ。
ある日のことである。一人の留学生が、キッチンカーのからあげ屋さんでからあげを買おうとしていた場面に遭遇した。店員の対応はもちろん日本語。ソースを何味にするかを問われ、少しとまどった表情をしていた。どうにもならなさそうだったら助けようと思っていたが、彼はがんばって日本語を絞り出し、身振り手振りも交えて伝え、無事商品を受け取った。
留学生の日本語力といえば、レベルの高い人もいれば、勉強しはじめたばかりの人もいてまちまちである。からあげ屋さんでの留学生は見た感じ、それほど日本語ができるわけではなさそうだった。日本に留学する夢をかなえたものの、日本生活は楽しいことばかりではなく、コミュニケーション上の困難を感じることも多いだろう。しかし、一つずつ乗り越えて、実りある時間にしてほしいと思いながらその場を去った。
大学教員としての日常生活に戻ると、様々な授業を担当していく。そのうちの一つにPBL演習という授業がある。PBLとはProject Based Learningの略で問題解決型学習とか課題解決型学習と呼ばれる。その中でグループプレゼンを行うのだが、課題の一つとして「外国人とのコミュニケーション上の問題を解決する」というものを用意した。日本には在住外国人が多くいる。先ほど挙げた留学生の例もそうだが、言葉が通じないことで不便や問題が生じることが少なくない。
外国人とのコミュニケーションといえば、一般に英語でのコミュニケーションが想起され、それに対応すべく、我々は英語学習に勤しむ。それに関して否定的な意見を言うつもりはまったくない。事実、英語は国際共通語として機能しているし、自分が海外に行く際には英語の恩恵にあずかっている。しかし、日本においても英語ができれば外国人とのコミュニケーション上の問題が解決できると言えるのか。それに関しては思うところがある。
授業では参考として2つの論文を示した。1点目はやや古いデータとなるが岩田(2010)である[1]。国立国語研究所が行った「生活のための日本語:全国調査」の結果から、日本に住む外国人のうち英語ができる人は44%、日本語ができる人は62.6%であり、日本語ができる人の方が上回ることから、英語を特別視せず、やさしい日本語を用いるべきだと提言している。
2点目は、木村(2019)である [2]。留学生への残念な対応として「日本語を話したいのに英語で返される」、「連れの日本人に向けて話す」、「日本語を話していることが認識されない」の3点を挙げているのだが、多くの人にとって1つ目の指摘に対して驚きがあるのではないだろうか。留学生に限った話とはいえ、英語で返されるのは残念なのだ。
繰り返すが、国際社会に羽ばたくためには英語が必要であることは疑いない。しかし、日本国内で外国人とコミュニケーションを図る際には英語よりも日本語(とくにやさしい日本語)の方が良さそうだという現状がある。新型コロナによって海外への道を強制的に閉ざされた時期は終わったが、国際的な視野は何も海外に出ることによってのみ得られるでもない。日本の中においても国際化しなければいけない問題は多々あり、それを見つめ、考えることで国際的な感覚を養うこともできる。日本語にももう少し目を向けてみよう。それも「国際」の一部であるのだから。
[1]岩田一成(2010)「言語サービスにおける英語志向 −「生活のための日本語:全国調査」結果と広島の事例から−」,『社会言語科学』13-1,pp.81-94
[2]木村護郎クリストフ(2019)「「日本語による国際化」