南山大学 人文学部 心理人間学科

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回顧的プレテスト...?

2024.09.24

南山大学の紀要のひとつ,『アカデミア 人文・自然科学編 第28号』が,機関リポジトリで公開されました(ここから目次が閲覧できます)。
そこには,本学科所属の教員が執筆したものがいくつか掲載されています。

ここでは,そのひとつ,
キャリア講演会への参加と意識変化2 : 回顧的プレテストを用いた講習会後の検討
を,執筆者の浦上先生が紹介します。
(タイトルをクリックするとリンク先から閲覧できます)


大学生,大学院生のころに,研究という世界に足をつっこんでから30年以上たちました。
もちろん,もっと長い間研究を続けられている大先生もおられますが,我ながら長い間研究をやってきたなと思います。
その経験の中で,「面白いものを見つけた!」という実感は何度もしてきましたが,「はまった」と感じるほど面白く感じたものは,実は多くありません。片手で足りるという程度です。
ここ数年,久々に「はまっている」ものがあります。それが「回顧的プレテスト」という測定の方法です。
「何ですか,それ?」って感じでしょうが,そう思う方にはぜひ論文をお読みください...とおすすめしたいのですが,それではこの記事の意味もなくなるので,簡単に紹介させていただきます。

たとえば,以下のような状況を想像してください。
Aさんが,フットサルの練習をしているチームを見て,「これなら自分にもできる」と思った。この時のAさんのフットサルをうまくやる自信は,10段階の9だったとしましょう。
早速チームに参加して一緒にやってみたところ,自分のできなさ加減に気づいた。
フットサルをうまくやる自信は10段階の3になった...
でもしばらく練習に参加しているとだんだんとできるようになっている自分に気づいた。
フットサルをうまくやる自信が10段階の6になった!

ありそうな変化の状況ですよね!?

さて,この練習がAさんの自信に与える効果を検討したいとしましょう。Aさんの場合,練習に参加することでフットサルをうまくやる自信はどう変化したというべきでしょうか?
9から6へ下がった? それとも3から6に上がった?

この点は,支援や指導,教育に関わる研究ではとても重要なポイントになります。
9から6へ下がったとするなら,その練習は参加者であるAさんの自信を損なうものだから,問題や課題を含んだ良くないものということになります。
3から6に上がったのなら,その練習はAさんの自信を高めた望ましい指導となります(厳密にいえば,3は練習に参加している途中の自己査定で,参加する前の状態とはいえないという問題も抱えているのですが...)。
練習に対して,まったく正反対の評価になるのです。

もうおわかりだと思いますが,上の例のポイントは,9という練習に加わる前の自己評価です。これが経験の無さなどから生じる,自分に対する過大評価だったのかもしれない,というところです。もし,それが正確でない評価ならば,練習に加わる前の自信の程度という指標は,練習の評価に使うべきではないものになります。

何らかの支援や指導による変化を把握したい時は,支援や指導の前と後に測定を行い,その差を見るしかありません。
しかし,事前には自分のレベルを正しく査定することはできなくて,やってみるとその査定が見込み違いだったということはしばしばあります(自分を過大/過小評価していた...と気づくということです)。
ならば,支援や指導の前の測定結果は信用できないではないか!と,問題を指摘することができますよね。

この問題をクリアする方法として提案されているもののひとつが,「回顧的プレテスト」とよばれるものです。
事後に,「この支援や指導を受ける前を思い出してください。その時なら...」という回顧を求める質問をします。この回答を事前(プレ)の得点と見なすというわけです。
自分を査定する心的なモノサシは,常に一定のものとは限りません。過大評価なんてことをしてしまいます。だから,その時々のモノサシで測ったものを比較するのではなく,今使っているモノサシを,以前の自分にもあてて測り,それらを比較してみる,という感じですね。

面白そうでしょ!?
何かを測ってみたくなるでしょ!?
「...?」という声なき様子が目に見えてきそうですが,いいんです。私は,これをとても面白い方法だと感じています!

授業などの機会をとらえていくつかの研究を行い,発表しています。そのうちの一つが今回のものです。
調査に協力してくれた皆さんには感謝です。
理屈を知りたいとか,普通のプレテストと回顧的プレテストで何が変わるのかとか,使ってみたいとか...,興味をお持ちであれば,コレと共にぜひお目通しください。

(浦上)

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