教員コラム 総合政策学専攻
働く人の「心」から見た持続可能な社会と組織(総合政策学 久村 恵子 教授)
2024年02月01日
「働くこと」を考えていく上で、働く人々の「心」への関心が高まっています。かつてより関心が寄せられてきたのは、労働の結果として「心」を見る「メンタルヘルス」です。そして、近年、注目されているのが、労働の手段として「心」を見る「感情労働」です。「感情労働」とは、簡単に言えば、仕事をしていく上で顧客などの職場外の人々から求められる期待に応じるため、自己の感情を調整し、自己の感情を販売することであり、Hochschild(1983)の著書"The Managed Herat"※1が有名です。
例えば、テーマパークの顧客の多くは「楽しむ」ことを目的に来場し、スタッフは顧客の目的が実現できるために期待される「楽しい」という感情を満面の笑みやオーバーな身振り、ちょっと高めの明るい声などの表情や言動によって顧客に提供します。その際、スタッフは自らの感情とは異なる感情を表面的に繕いながら接客する場合(=表層演技)もあれば、スタッフ自らが「お客様が楽しみ満足して欲しい」ことを願い、自らの心を「楽しい」感情とし自身も楽しく接客する場合(=深層演技)があります。いずれにしても、感情労働に携わるスタッフの心は一時的であれ顧客のためのものとなり、スタッフは自己の心とは異なる感情を生み出さなければなりません。そのため、たとえ顧客から「ありがとう」、「楽しかった」とする感謝やお褒めの言葉を掛けられたとしても、その矛盾と葛藤により心身が疲弊するなどの悪影響が確認されています。それゆえ、感情労働はネガティブなイメージで捉えられることが一般的です。しかし、研究が蓄積されるにつれ、自らの選択と裁量により感情労働をした場合、感情労働は働く人の心の活力に繋がることも確認されています。
近年、産業構造のサービス業化、「おもてなし」や「顧客満足度」を重視するビジネスモデルの偏重により、感情労働は従来の感情労働職(例:看護・介護職、販売職や営業職など)以外の職種においても要請され、実際に程度の差はあれ、あらゆる職種において人々は感情労働に従事していることが確認されています※2。もちろん、人々は、顧客といった職場外の人々のみならず、職場内の人々との関係においても感情労働に類似した感情作業に携わりながら働いていることも事実です。
さらに、目まぐるしく進化する技術は、人間の代わりに特定の業務を機械やAIがこなす社会を創出し始めています。このような社会で人々に求められるのは「人間らしさ」です。人間らしいコミュニケーションや心に響く感情を活かして付加価値を生み出すこと、すなわち、働く上での手段としての「心」があらためて評価されるのではないかと考えます。
今後、心を労働の手段とした感情労働(や感情作業)は、仕事の領域のみならず、あらゆる生活の場面で人と人とを繋げていく際の重要な役割を担っていくことでしょう。だからこそ、すべての人々が自己の「心」と他者の「心」を理解し、互いの「心」を大切にすることができるよう、社会や企業は支援体制を整え、人々も自他の「心」に向き合うことがより必要と考え、働く人々の「心」に着目しつつ、より健全で、幸福で、持続可能な社会や組織のあり方について研究を進めています。
※1 Hochschild, A.R.(1983) The Managed Heart: Commercialization of human feeling. Berkeley,
CA: The University of California Press.
(石川准・室伏亜希:訳(2000)『管理される心―感情が商品になるとき―』世界思想社)
※2 久村恵子・大塚弥生・山口和代 (2023)「感情労働化する社会における感情労働の特徴とその効果」,
『南山経営研究』, 37(3), 285-305.