教員コラム 総合政策学専攻
総合政策学専攻 佐藤 創 教授
2020年10月14日
インドの経済発展に関する雑感
開発途上国、とくにインドの経済や社会の研究に携わって四半世紀近くになる。その間のインドの変化には目を見張るものがある。ここ数年は、ニューデリーに到着すると、エアコンの効いた清潔感のある空港内を移動し、スムーズに入国審査を経て手荷物を受け取り、さしてフリクションもなくタクシーに乗りそのままホテルに到着する。しかし、10年ほど前まではこうではなかった。空港に降り立ち、飛行機から一歩出たその刹那から、暑さと群衆の熱気の洗礼をあび、まずは入国審査に長蛇の列。入国審査官が一人の審査にかける時間は優に5分を超え、しかも定時の交代時間になると大量の到着客を残したまま、審査官の数は半減したりしてしまう。不平を言い募る到着客に対する彼らの論理は明快だ。一人当たりに時間がかかったり、長い列ができたり、交代要員がすぐに来ないという問題は、対処しない政府・経営側の責任であり、自分たちは自分たちの義務を誠実に果たしている、と胸を張り威厳をもって答える。
入国審査を終えて、手荷物を受け取ろうとするとどういう資格で空港内に入っているのか不明な人たちが勝手に荷物を持っていこうとし、彼らと自分の荷物を引っ張り合いながら、あまた現れる客引きを退けつつ、詐欺やトラブルの少ないはずの公営タクシーになんとか乗りこみ行き先を告げほっと一息を入れる、と、運転手の友達なのか違う人間を助手席に乗せようとするのでまた戦い、、、。あの喧騒と現在のスムーズさは隔世の感である。もちろん経済成長のおかげである。インドもひと昔に比べれば格段に便利に快適になった。
しかし、それは果たして喜ぶべきことなのだろうか。もちろん、そうであろう。少なくとも、旅行者などの消費者は以前よりはスムーズな消費活動を営むことができるようになり、一人当たりの所得という指標でみれば「平均的」にはみな豊かになってきているのだから。それでも、あのごつごつとしたぶつかり合いを懐かしむ気持ちがあることは否定できない。なにかものごとの本質を一瞬垣間見せるようなあの雰囲気、匂い、緊張、摩擦、、、うまい言葉が見つからないが、かつては当然だったインドのあの感触に遭遇する機会が少なくなっていることは確かである。
ニューデリーの空港で外国人相手に小商いチャンスを狙っていた人たちは今はどこでどのように暮らしを立てているのだろうかと、ふと考えることがある。過去20年ほどの間に、インドの労働者人口は1億人あまり増えているが、正規雇用にあたる雇用数は3000万人ほどのまま横這いである。平均的に豊かになったとしても、著しい貧富の差や宗教やカーストなどの社会亀裂が必ずしも改善されてきているとは限らない。経済成長するということは労働の生産性を上げることであるが、そのことは正規雇用を増やすこととは必ずしもイコールではない。
開発途上国の経済発展を研究することは、基本的には、先進国のような便利さを含むいわゆる「物質的豊かさ」をどのように開発途上国は達成できるかを研究することである。しかし、そのような研究枠組み自体の孕む問題にも自覚的な研究を追求したい、と馬齢50近くとなり残りの研究人生の歳月を数えながら夢想するこの頃である。