教員コラム 総合政策学専攻
総合政策学専攻 井上洋 教授
2019年04月15日
わたしの研究史の始まりと終わり
わたしが社会に関心を持つようになったのは中学生のころである。わたしは1957(昭和32)年の生まれだから、ちょうど1970年ごろということになる。それまでわたしは社会の中での自分ということを考えることがなかった。わたしは栃木県中北部の農村の生まれであるが(塩谷郡氏家町)、漠然と自分も(もということはまわりの子どもたちと同様に)農家を継ぐことで一生を終えるものと考えていた(わたしの実家は2ヘクタール弱を耕す米作農家だった)。生まれた町を出て住むことはなく、ひょっとすると祖父のように地域の役職か何かは引き受けるかもしれないが(祖父は民生委員をやっていた)、そこで農業をして暮らし続けるというイメージである。今この大学で学生を見て驚くのは彼らの細密な序列意識である。クラスのなかで、学年の中で、大学間のなかで、自分と同じ生年全体の中で自分はどこに位置しているのか(どのくらいの存在なのか、ひとりでも追い抜くにはどうしたらよいか)、そのことについて彼らは過剰な意識を持ち、日々その意識に苛まれているように見える。わたしは中学校に入り1学期の中間試験後に学年全体のなかでの席次が発表されるまで、席次という観念それ自体をもたなかった。中学1年生の6月以降は席次というもので自分を捉える(自分が捉えられる)ことがあることを知ったが、「受験戦争」という言葉が言い立てられていた時代であったにもかかわらず、細密な序列意識とは遠いところで過ごした(わたしだけでなく、当時の少なくとも農村部の中学生の多くは、今の学生がもっているような細密な序列意識をもつことはほとんどなかったろうと思う。そもそも序列をはかる手立てにも限りがあったのである)。
そういうわたしが社会の中での自分を考えるようになったとはどういうことであるか。それは、自分の意思とは関わりなく自分は国家(日本国)(あるいは政治、それを支える日本の社会)によって死を強制されることになるのではないかという強い恐れを抱くようになったということである。何がきっかけでそのような恐れをもつようになったのかははっきり覚えていない。新聞の記事によってか、テレビの番組によってか、少年雑誌上の記事によってかよく覚えていない。とにかくわたしはどこからか日本は戦争に向かって進んでおり、いずれ遠くない時期に徴兵制が引かれるであろうという話を聞いたのである。これはわたしをたいへん驚かせ、心の底に暗闇をつくり出した。なぜならば、この話はわたしのまわりの農村社会の様子から見て全く荒唐無稽のものとは思えなかったからである。そして同時に、直感的かつ確信的にこう思った。わたしが徴兵で兵隊にとられる制度が、つまりわたしに死を強制する制度がつくられること対して、わたしのまわりのおとなは誰も反対しないだろう、と。わたしは自分の意思にかかわらず国家なるものによって死を強制されるなど断然受け入れられなかったので、なぜそんなことになるのか、誰がそんなことを望んでいるのか、それを阻むためにはどうしたらよいのか、必死に考えるようになった。新聞に載っている戦争に関する記事を目を皿のようにして読み(当時はベトナム戦争についての記事が毎日載っていた)、自分から新聞にこの問題についての投書をするようになった。高校生になると頼んで新聞を『朝日新聞』に変えてもらった(それまでわたしの家は『栃木新聞』という地方紙をとっていたが、その新聞の論調が戦争への道に親和的に見えたからである)。そして投書を続けた。さらに書店通いを始めて、おそらく世間的な意味での大学受験への効用とは無関係の本をたくさん読むようになった。このあとのわたしの個人史(研究史を中心とする)については、拙著『明治前期の災害対策法令 第一巻』(論創社、2018年3月)の「あとがき」に書いたのでそちらを参照していただきたい。つまり徴兵への恐れがわたしを社会に向かわせ、学問に導いたということである。
さいわいわたし自身は徴兵されることなく生を終えられそうであるが、わたしの孫に当たる世代はどうであろうか。これまでわたしはなかなか戦前の社会を理解できなかったが、ここ10年ほどの間戦前の社会をリアルなものとして体感している。戦争は政官財と軍の指導者が企画するものといえようが、それを積極的にあるいは黙従というかたちでひろく厚く支えているのはわたしたち社会の側である。わたしは自分の職場の中を見渡しながら、戦争への道を支えているのはまぎれもなくわたしたち自身であることを、暗く重い気持ちをもって理解し、そして受けとめている。社会にひろく厚く支えられている限りにおいて戦争への道を変えるのはたいへん難しいことのように見える。孫に当たる世代の子たちにこうした社会しか手渡せないことに忸怩たる思いであるが、それでも尚、社会に気づいた初心に立ち戻って何かできることはないか、研究上においても一市民としても考え続けている。