教員コラム 総合政策学専攻
総合政策学専攻 星野昌裕 教授
2019年03月01日
『中国留学の原風景』
本研究科の教員・研究紹介ページの研究情報詳細に書いたように、私は中国における政治改革と民族問題を主たる研究としている。中国の民族問題を研究するため、1991年9月から1年間、国費留学生として北京大学歴史学部に留学したが、その1年間で得た知見は、民族問題そのものよりも、「社会主義」という言葉で3つにくくれる政治の変動や多様性で、それが研究者としての視野を広げさせてくれた。
1991年8月に神戸発天津行の船旅で留学先の北京に向かったが、船内のテレビでは、ソビエトで発生したクーデターでゴルバチョフ大統領が軟禁されたらしいとのニュースが繰り返し報道され、留学中の12月にはソ連が崩壊するにいたった。社会主義の兄貴分であるソ連が崩壊していくプロセスを、同じ社会主義国中国の北京で見届けることになったのである。
一方、ソ連が崩壊してまもなくの1992年初頭の中国では、当時の最高指導者鄧小平が湖北省、広東省、上海など中国の南方を視察し、改革開放政策の加速をよびかける講話を発表した。南巡講話と呼ばれる鄧小平の声明は、当時大学4年生だった私にその重要性は十分に理解できていなかったが、1992年秋に社会主義市場経済として体系化され、政治的には共産党の一党支配体制を守りつつも、経済的には市場経済の導入を促進しさらなる経済発展を目指すものだった。これ以後中国は飛躍的な経済成長を遂げ、1995年に在中国日本国大使館専門調査員として赴任した際には、北京の街はその姿を一変させていた。
そして留学中、ある意味でもっとも大きな経験となったのが、ルームメイトが北朝鮮からの留学生だったことである。寝床につくと、ルームメイト側の壁に掲げられた北朝鮮の指導者の顔写真と目が合う毎日だった。自分と全く異なる国家観、政治観、社会観をもった留学生との共同生活は大変刺激的だった。私の机の上には日本から送られたきた雑誌や短波ラジオがあったので、ルームメイトも北朝鮮では得られない刺激的な「国際化」を経験したのではないかと思う。そのようななか、ルームメイトの母国をみてみたくなった私は、中国の旅行代理店が主催する北朝鮮ツアーに参加してピョンヤンへ行き、同じ社会主義体制といっても、その内実は多様であることを肌で感じ取ってきた。
以上のように、ソ連との関係では崩壊する社会主義を、中国との関係では変容する社会主義を、そして北朝鮮との関係では多様な社会主義を体験したのが、私の留学生活である。学生時代のこうした原風景が、いまも研究の原動力となっている。