教員コラム 経営学専攻
ミクロ経済学の初学者時代(経営学 後藤 剛史 教授)
2026年01月05日
このコラムを執筆するのは3度目で、私も例に漏れずネタ切れのところがある。そこで、ちょっとした思い出話をしたい。これからミクロ経済学を勉強してみようという方々の参考になれば幸いである。
私は、1991年4月に北九州大学商学部経済学科(当時の名称、現在は北九州市立大学経済学部経済学科)に入学した。商学部には経営学科もあり、出願の際にはどちらも選べたのであるが、なんとなく経済学科を選んだ。近年の(とくに推薦型入試の)受験生の明確な志望動機と比べると、お恥ずかしい限りである。ただ、ぼんやりとではあるが、「企業がどう儲けようとしているか」よりは、「いったい社会はどのように動いているのか」といったようなことに、当時は興味があったように思う。
入学後すぐに、ご多分に漏れず麻雀にハマってしまってはいたが、せっかく経済学科に拾ってもらったのだから(私は第1志望の某大学法学部の入試に失敗していた)、経済学くらい勉強してみよう、と思った。当時の北九大のカリキュラムでは、ミクロ経済学は自学自習するしかなかった。当時、ミクロ経済学の教科書として名高かった書籍は、西村和雄『ミクロ経済学入門』(岩波書店)、武隈慎一『ミクロ経済学』(新世社)で、この2冊は自分で購入した。
武隈は初学者にとっては数学的でまったく手が出なかったので、まずは西村を通読することにしたのだが、さっぱりわからない。ただ、ここで投げてしまって、「経済学など役に立たない」系の意見に流されてしまうことはなかった。むしろ、簡単には解らないところに魅力を感じた。練習問題にしても、とりあえず解き方を覚え、手を動かしてはいた。ただ、どうしてそう解くのか、よくわかっていなかった。
先日、経済学部の某先生と話していた際に、「こういうプロセスあったよね」という話になった。なんだかよくわからないが、手を動かす。数式の展開を追い、図を真似して描いてみる。それらに何の意味があるのかを自分なりに考える。そうこうしているうちに、西村の内容が少しずつわかってきた。西村先生の説明でよくわからなかった場合には、図書館で、いろんな本をひっくり返して、他の先生による説明を読んだ。いろんな説明に触れてみるというのは非常に大事で、そのうち、ピンとくる説明に出会うことができる(実は、いったんわかってしまえば、西村も武隈も、その良さが身にしみるのであるが)。その意味で、大学の図書館はたいへん素晴らしい環境である。この際によく助けてもらった本が、木村憲二『価格論ノート』(日本評論社)で、なぜか、木村先生の語り口が妙にすっと入ってきた※1 。南山大学に就職後、この本をあらためて古書で買ったのだが、執筆当時(1980年)木村先生は愛知大学法経学部にお勤めで、「はじめに」の最後に「1980年2月、八事表山にて 木村憲二」とある。実は現在、私は表山に住んでおり、不思議な縁を勝手に感じている。
そうこうしているうちに2年が経ち、いよいよ奥野正寛・鈴村興太郎『ミクロ経済学I・II』(岩波書店)に挑戦してみようという気になった。いかにも名著の薫りがするこの本を、2冊で7000円出費して、手に取った。Iは、このような文章で始まる(p. 3):
ミクロ経済学とは,経済の資源配分に関わる諸問題――現実の経済ではどのような資源配分が行なわれているか,いかなる資源配分が社会的に望ましいか,望ましい資源配分を行なうためにはどのような経済の制度的仕組みを設計したらよいか,など――を,主として理論的に解明・考察しようとする経済学の一分野である.
今でもその瞬間を覚えている。この箇所を読んだとき、私は「あっ」と小さく叫んだ。いわんとすることが、ほんとうの意味で、わかったのである。それまでの2年間の例のプロセスは、この瞬間を得るために必要だったのである。
多くのミクロ経済学の教科書には、同じようなことが冒頭に書かれているであろうし、多くのミクロ経済学の授業も、このような導入のもとに始められているであろう。しかし、その意味を、100分の講義を14回座って聴いただけでは、つかめないのではないだろうか※2 。ミクロ経済学の定期試験が終わったからといって、勉強をやめてしまうのはもったいない。一部でもよいから、経営学部の1年生に、継続的に勉強し、ビジネスを経済学的にとらえようとする人材が出てくることを期待したい。「すぐわかる」的な動画を観るのもいいが、ぜひ、いろんな本を手当たり次第に読んで、自力でミクロ経済学をつかんでほしい。
※1とりわけ、時折はさまれる「著者からのadvice」というコラムが秀逸で、例えば、消費者の効用最大化問題の2階条件に触れたところで「2階の条件をどの程度重要視するか,ということはやっかいな問題です.縁付きのヘッセ行列式などが好きでしょうがないという人はまずいませんので,一寸拝んでさっと通り過ぎる氏神様のようになってしまいます.」(p. 60)とある。「そういうものなのか」と、当時、安心した記憶がある。
※2個人的には、いかに素晴らしい講義であっても、と注釈を付けたい。もちろん、私の授業が素晴らしいと言いたいわけでは、ない。念のため。