教員コラム 経営学専攻
オイルショック(経営学 池田 亮一 准教授)
2025年02月14日
とは言っても社会科学研究科の教員らしく,戦後日本経済史の話をするわけではない。「老いるショック」である。わたしの好きなみうらじゅんさんが作ったとされるワードだが,いつのまにか30代が終わって,気づいたらもうすぐ「アラフィフ」ぐらいの中年のおっさんになりつつあり,色々と「もう若くないなぁ」と思うことも増えてきたという話をしようかと思う。正月に妻の実家に帰った際,家から駅に向かう車中における妻とお母さんとの話の9割が健康と病気と保険のことだったが,一昔前なら正月からそんな夢のない話に辟易していたであろうものだが,そういう話をしたくなるお母さんの気持ちも何となくわかるようになった。
わたしは来年度から1年半の間サバティカルで海外留学をさせてもらうことになっているのだが,たびたびある老いるショックごとに思うのは,特に大きな持病もないうちに海外生活をさせてもらえることになったのは幸運だということだ。
海外生活をするにあたり,人事課から留学への出発1か月前までに最新の健康診断の結果を提出するように言われた。わたしにとって健診のハイライトは「上部消化管X線検査」,いわゆる「バリウム検査」である。この検査,世間では気が重い検査としてとらえられているようだが,実はわたしはこの年1の行事を地味に楽しんでいる奇特な人間である。確かに,前日からの食事制限はめんどくさいのだが,当日の検査は,普段の生活からはかけ離れた理不尽なふるまいを強いられるのが楽しい。意味の分からないネロネロした舌ざわりで,不自然にちょっと甘い白い液体を無理やり飲ませられた後,ザラメ上の粉を飲まされゲップを止めとけとまた不条理なことを言われ,その後狭苦しいカプセル状の装置に詰められ振り回されながら,「仰向けになれ」だの「右を向け」など天の声の命令を受け,「もう少しだけ左。もう少し。。行き過ぎ!そう!そう!」などと言われながら,こちらは普段慣れないし,振り回されて天地もわけがわからず「仰向けってどっちなんだ?」と0.5秒ぐらい考えてからじゃないと判断できなかったりして,狭いカプセルの中で一人終始ゴソゴソし続けるのである。しかし,それらをすべて指示通りこなし,ゲップもきちんと我慢して終えられたときの,ばかばかしい達成感が爽快なのである。帰りには「ご褒美」に下剤を渡され,あげく「とにかく水を飲め」と言われて帰されるのは,もはやUSJのハリウッド・ドリーム・ザ・ライドとは比較にならない過酷な「アトラクション」と呼んでよいと思う。あちらは上下左右に振り回されるだけだが,こちらは振り回し方こそ地味ながらも,激しい空腹感の下,わけのわからない飲み物を飲まされ,ゲップも自由に出せず,あれこれ命令を下され,頭も使い,終いには次の日まで白い下痢が出続けるという,あらゆる点でレベチなものだ。しかもこれで自分の健康状態が分かるというのだから,USJと比較してのお得度と言ったらない。これを楽しんでいられるのは,まだ深刻な結果が出ていないからでもあろう,その意味では私はまだ本格的にはおっさんではないのかもしれない。
ただこの検査,わたしには一つだけストレスがある。お着替えである。わたしの大学で行う検査のときには,肌着の上にワンピースを着て挑むのだが,着替えのポイントはこのワンピースを着る「順番」にある。着るときは「先にワンピースを着てから,後でズボンを脱ぐ」と下着や生足が露にならず,スマートに着替えをこなせるはずだが,どうにもそうはお考えにならない先生方をよくお見掛けする。つまり「先にズボンを脱いで,生足や下着を露になさってからワンピースを羽織られる」方が一定数いらっしゃるのである。従って,毎年健診の日には,狭い更衣室において,本当は拝見しなくてもよいはずの,ご年配の先生方のレアなセクシー姿を堪能することになる。
そんなわけで,毎年バリウム検査が終わった後,わたしは前述のゆるい達成感を感じると同時に,「あまり見たくないもの見てしまったなぁ」という後味の悪さを感じながら研究室に戻るのが恒例である。そして「なぜ着る順番を考えてくれないのか」と軽く憤った後,結局「老いるとはこういうものか」としみじみ納得することになる。恥ずかしいと思うことが少なくなる」こと,そして「少し考えればわかるようなことを考えることが億劫になる」こと。これらのどちらかあるいは両方によって,バリウム検査の味気ない更衣室が鮮やかに彩られているのだ。次にコラムを書くときも,自分はまだ彩る側には回らないでいたいものである。