教員コラム 経営学専攻
ケースメソッドによってどのような知を学ぶことができるか?(経営学 髙田 一樹 准教授)
2024年06月03日
ケースメソッドには150年ほどの歴史があります。1870年代にアメリカのハーバードロースクールで学生が司法手続きを疑似体験的に学ぶ教授法として開発されました。学生が被告と原告、裁判官、弁護士、検事役に分かれ、裁判例を教材として用い、ロールプレイングさせたのがこの教育法のはじまりだといわれています。1908年にはハーバードビジネススクールで商法や経営学の授業で実例をもとにした教材用の事例、ビジネスケースがつくられました。
講義や研究発表ではしばしば事例が使われます。いわゆるケーススタディーは、教員が講義の要点を、研究者が自らの主張を印象的に伝える技法として事例を用います。対照的にケースメソッドでは、学生がケース内の登場人物に自らを置き換えて最善の経営判断や行動の適否を考えます。教員が事例の顛末を伝えず、あえて持論を語らないところにこの教育法の特徴があるのです。
では「正解」を教えない教育にどのような効果が期待されてきたのでしょうか。先行研究をひも解くと大きく3通りに整理できます。1つは、意思決定能力を高める訓練になるといわれてきました。教材用のケースには経営上の問題が具体的な場面とともに描かれています。たとえば内部告発による不祥事の発覚、事業再編、新しい組織づくりなど経営者が対応すべき問題(problems)です。ケースメソッドは学生に当事者意識を持たせ、直面する経営問題に自らの答えを導く訓練になるとその意義が説明されることがしばしばあります。
2つ目に、潜在的課題を見つける訓練になるとも考えられてきました。ここでの課題(issues)とは、現時点で表面化しておらず、すぐに対応すべきとまでは言えないものの、のちのち経営を揺るがす火種となる要因です。学生が近い将来に経営組織に起こりうる予測を考え不正や不祥事を未然に防ぐトレーニングとしてケースを使うというのです。
3つ目として討議や説明の能力、リーダーシップを向上できるとも言われてきました。学生がケースに描かれるのとまったく同じ状況に立たされることは将来的にもおそらくないでしょう。授業ではケースを媒介に学生が持論を展開し、相手を説得する討議が期待されています。ケースメソッドで学んでいるのは、一回きりの経営課題に対するパターン化された解決法ではなく、論理と言葉を駆使して形成される人間観察と対人関係だという見解です。
筆者は経営倫理を講義とは別に、ケースメソッドで教えることがあります。そのさい念頭におくのは、受講者の人生経験や習得した知識をケースに結びつけて考えるように指導することです。少し大風呂敷を広げると、20世紀以降の学問の潮流を専門分化として特徴づけることができます。経営学でも専門化と体系化が進み、経営資源をヒト(組織行動/人的資源管理)、モノ(マーケティング/流通)、カネ(金融市場/資本調達)、情報(簿記会計/産業経済分析)という4つの分野に分けて考えることがその象徴であり、それぞれの分野はさらに細分化しています。専門分化することで正確な学知をより詳しく深く学ぶことができるでしょう。
他方、ケースメソッドは学生がこうした専門知を自らの思考を通じて統合する知性を学ぶ機会になると筆者は考えます。経営者や管理職の立場で選択を求められたとき、カギを握るのは専門的な知識と技法を修めたうえで、それらを組み合わせて判断を下す「賢慮」ではないでしょうか。筆者は、学生の判断に倫理的な観点からさらに思索するようケースメソッドを通じて教えることを心がけています。