教員コラム 経営学専攻
一月三舟の会計理論(経営学 安田 忍 教授)
2023年10月02日
9月29日は晴天に恵まれた十五夜となった。今年(2023年)は中秋の名月がちょうど満月となるそうだ。見上げると夜空には円い大きな月が優しく光っていた。
月にちなんだ言葉として「一月三舟」がある。この語を知ったのは、「適正表示を巡る一月三舟」(深井忠著、『現代監査』25号所収、2015年)という論文によってであった。論文のタイトルとしては不思議な感じがしたので、手元の広辞苑で調べてみると、仏教に由来する言葉で、「停まっている舟、南行の舟、北行の舟から月を見るとそれぞれ月も停まり、南行し、北行して見える。そのように、仏の説を衆生がそれぞれに異なって受け取ることのたとえ。」ということだそうだ。深井氏の論文では、ビックカメラの行った会計処理が不適切であったか否かにつき、経営者、監査人、証券取引等監視委員会、裁判所で判断が異なっていたことをこのタイトルで表現したのである。
財務会計の分野では、企業の会計処理は会計基準に準拠して行わなければならない。それゆえ、制度的な安定にとって、会計基準は、規定した会計処理に対する理論な妥当性を示し、社会的な納得(承認)を得ることが肝要である。しかし、よって立つ論拠や見方、そして立場の違いによって意見は異なり、多数説(もしくは通説)と反対説が併存することの方が通例であろう。
現在、わが国の企業会計は、経済活動のグローバル化を背景とした国際会計基準(IFRS)とのコンバージェンスが不可避的状況となっている。それに伴って、期間損益計算を重視する伝統的な会計思考(収益費用アプローチ)から国際会計基準が依拠する資産・負債の定義と評価を重視する会計思考(資産負債アプローチ)への変化の中で、前者から後者への転換か、両者のハイブリッド化か、あるいは前者の継続かが常に基準設定の論点となっている。
2008年の「資産除去債務に関する会計基準」は、ハイブリッド化の例であろう。従来、将来支払う資産の除去費用は、期間損益計算の観点から、当期の収益に対応する費用を引当処理によって費用計上し、その分を引当金として積み上げて将来の支出に備えていた。これに対して上記の基準は、将来の除去が法律で義務付けられている場合、その支出見積額は全額負債計上すべきとされ、同時に同額を資産として計上するとともに減価償却の対象として費用化することにした。この処理に対して、資産計上が資産の定義を満たさないとの批判は絶えないが、負債の定義を満たす資産除去債務の負債計上を優先しつつ、過去および将来の支出額を基礎として費用配分を行い、伝統的な投下資金の回収剰余計算を発展的に維持したと捉えることもできる。
一方、2つの会計思考が対立する例として、有償取得によるのれんの会計処理(「企業結合に関する会計基準」(2019年))が挙げられる。国際会計基準はのれんの定期償却を禁止し、減損処理のみとしているのに対して、日本はのれんの定期償却を現在まで維持している。国際会計基準では、のれんは減損が生じなければ減価しないと捉え、また、定期償却には見積りの恣意性が入るために禁止している。一方、のれんは日々の経営活動とともに減価するはずなので費用配分によって投下資金の回収剰余計算を行うべきとするのが日本の主張である。両者ともに優劣つけ難い面があるため、「アポリア」の1つとも称されてきた。
経営学専攻(修士課程)の財務会計分野は、学位取得による税理士試験科目免除を希望して志願される方が多い。免除希望の場合、研究対象は日本の会計制度となり、わが国の会計基準が研究の中心となるため、立場の違いに基づいて主張されるさまざまな見解を丁寧に読み解く姿勢が望まれる。