教員コラム 経営学専攻
経営学部4年間の「アウェイ戦」を振り返る!(経営学 池田 亮一 准教授)
2022年05月16日
2022年4月から南山大学大学院社会科学研究科に所属し講義を担当させてもらうこととなった.2018年から南山大学経営学部で教えており,今後も担当コマ数としてはそちらの方がメインであるのだろうが,大学院生を教えるのは教員人生で初めてであり,どのような学生がいるのかを楽しみにしている.
私は経営学専攻に所属するものの,「金融経済学」というどちらかと言えばむしろ経済学寄りの分野を専門とし,通常論文を書く際は数学を用いる.そのような経緯もあって経営学部では1年生の数学の授業を担当してきた.経済学と経営学を対比するとき,高校生や大学生はよく「経済学は数学を多用し経営学は使わない」と考えている人は多くいるようで,そのような認識を持ちながらカリキュラムをよく調べず南山大学経営学部に入学した一部の学生は,1年次に数学・統計の授業がほぼ必修という形式でびっしり入っていることに憤慨し,私は理不尽としかいいようがない恨みを彼らから率先して買うことになっている.実際,今年度の学部1年生の少人数クラスの演習科目においてパソコン演習のために「大学に対して望むこと」というテーマで簡単な文章を書く課題を出したところ,クラス25人中10人が,「とにかく数学を必修扱いから外してほしい」とのがっかりな内容であった.他に「大学構内の坂をなくして欲しい」とかいう,むしろ神様にでもお願いすべき要望もあったのでどこまで本気で考えているかは怪しいが,数学という分野が大方好かれていないのは間違いない.完全アウェイである.
彼らの多くは文系と呼ばれる,数学を高校であまりあるいはほとんど勉強してこなかった学生であるのであるが,果たして本当に数学が苦手なのであろうか.私が4年間学部1年生を相手にしてわかったことは,彼らは微分や掃き出し法など機械的に計算をして答えを求める,いわば作業化された数学に関しては,決してできないわけではないということである.個人差はあるものの,ある程度時間をかければ多くの学生が基本的な数学の計算が独力でできる.その意味で,彼らは数学が嫌いかもしれないが決して不得手ではないと考えている.
しかしその一方で,彼らに「微分を使うとなぜ最大値を求めることができるのか」という問題を出すと途端に答えられない.「微分を使うと接線の傾きがわかるので,傾きが0になるところが最大値をとる候補になる点となるので,そこに微分を使う意義がある」という「文系的な解答」を求めて出題をしているのだが,これに答えられる学生は参考書を持ち込んでの試験であったとしても,100人ほどいる学生のうち半分強程度と記憶している.最初にこのような事実を目の当たりにしたときに私は少々戸惑ってしまった.他大学の工学部で非常勤講師を担当しており,同じ問いを出題したときと正答率がさほど変わらなかったからである.文系の学生ならばむしろこのような問題形式の方が,正答率が上がることを期待していたが,そうはならなかった.
この事実を解釈してみると,文系の学生も理系の学生も共通して,高校までは教えられた情報を丸呑みしてそのまま吐き出すことを主に訓練されてきたのだろうということになるだろうか.微分する方法はわかりやすいし,傾きが0になるところを求めることも機械的で難しくはない.だから計算は,文系であってもやり方さえ正しく教えられれば決してできないわけではないということだろう.しかし一方で,なぜ最大値を微分で求められるのか,ということに関しては,答えが1とか2xと出るような簡単な問ではないので,与えられた知識を整理するという一つ上の作業を行わない限りはすぐには答えることができないようである.
これをもって「近頃の学生はけしからん」というつもりはない.むしろ私自身も高校時代はそのようであったと思い返す.日本史などで教科書や参考書の脚注の隅に載っている正直どうでもいい人物の名前や単語を覚えて友人とクイズ形式で出題しあって「勉強」していたつもりだが,それがテストで良い点数をとる近道だったのである.当然のことながら,日本史を学ぶ意義は,誰も知らないような人物名や法令を一早く答えてどや顔をすることではなく,例えばその人物がなぜその法令を出してその影響がどう広まって社会を動かしたかを知ることで,今後のよりよい歴史を作るためのヒントとするところにある.私の場合,その今となっては当たり前のようなことを気づかせてくれたのは,受験戦争から解放され自由の身となった大学であった.なので,学部1年生が高校までのいわゆる暗記教育にとらわれていることはむしろ微笑ましくも思える.数学の授業は経営学部のメインの授業とは言えずあくまで問題解決のためのツールであるのは承知しているが,例えツールとしての数学でも,結果を覚えることではなく,そこに至る過程や原因を大切にするような授業を構成し,試験もそのような本質的なことを聞くように心がけているつもりである.
大学院では,単位取得の厳しさは大学と比べて緩いはずで,より勉強を楽しむ余裕ができることと思う.ぜひ学生の皆さんには,私が大学院時代に感じたのと同じように,勉強や研究の真の面白さを存分に感じられることを願っており,私もその一助になりたいと思っている.そして,たまにはホーム戦を行いたいものだ.