教員コラム 経営学専攻
経営学専攻 澤井 実 教授
2019年10月01日
「経営史研究の可能性と楽しさ」
研究者を志望した動機は今となっては定かではないが、学部学生時代に大塚久雄先生のマックス・ウェーバー論や水沼知一先生の日本経済史を聞いたことが大きく影響していることはたしかである。以来約40年、研究者を続けてきたことになるが、20代と変わらずいまだに分からないことだらけである。
学部の卒論は諏訪製糸業について書いたが、途中で古文書が読めないことに気づき、慌てて朝日カルチャーセンターに通って林英夫先生から手ほどきを受けた。しかし大学院に入って製糸業研究の展望を失い、1年近く模索したが、偶然にも図書室の中で大正期に編纂された国勢院資料を見つけ、詳細な工作機械の価格データを読むことができた。当時は工作機械工業はもっとも後れた機械工業といわれ、その後進国的性格が強調されていた。しかし後発の工業国である日本の工作機械工業が後れているのはある意味で当たり前であり、問題は後進性を脱却するためにどのような努力が続けられてきたのかであるように思われた。工作機械を作る技術とはどういうものかを知るために、工業高校のテキストを独習してから大阪の東大阪や新潟県の長岡の工場を訪ね歩いた。
続いて「後れた」工作機械工業の歴史を勉強しているうちに、機械工業のなかでもっとも早期に自給化を達成した鉄道車両工業が気になりだした。そもそも車両の価格や利益率を知らないことに気づき、名古屋の日本車輌製造に通い、1両1両の価格、コストに関するデータを集計した。鉄道工場が修理・修繕に特化し、国鉄は特定の民間鉄道車両メーカー(指定工場)からのみ新造車両を購入するという1912年に確立された指定工場システムが決定的意義を有することが分かった。
その後、国立研究機関・公立試験研究機関―大学―民間企業の研究所の3者によって構成されるナショナル・イノベーション・システムの歴史を調べ、明治から現在に至る大阪の産業集積の変遷を追跡し、八木アンテナの八木秀次やクボタの創業者である久保田権四郎の評伝を書き、海軍技術者の戦後の帰趨を調べた。同時に戦前日本=日本帝国(日本国内、朝鮮、台湾、「満洲」など)における高等教育を受けた技術者の活動の実態を追いかけ、工作機械と並んで機械加工の重要な技術である溶接技術を調べるために産業ガス(酸素)産業の歴史を調べた。この「見えない産業」と呼ばれる産業ガス産業の特質は日本の産業史の重要な一側面を照らしているように思えた。
最近は近現代日本における熟練形成、技能形成の歴史が気になりだしている。企業内養成の実態、公共職業訓練、職業高校、専門学校、中小企業におけるOJTの実態などが研究対象となっている。ヒトとカネについていえば、40年間もっぱら近現代日本のヒトの特質について調べてきたような気がする。経済史・経営史研究を40年間続けてきて、この研究領域の可能性と楽しさだけは自信をもって次の世代の方々に語ることができる。大学院に入られて研究してみませんか。