教員コラム 経済学専攻
抜き打ち試験の「パラドックス」(経済学 上田 薫 教授)
2025年11月14日
ゲーム理論関連で良く語られる話の一つに、次のような「抜き打ち試験のパラドックス」がある。
【A君のクラスの先生が「来週抜き打ちで試験をします」と予告した。彼はこれを聞いて次のように考えた。 「来週木曜日まで試験が行われなければ、金曜日に行うことが予想できてしまう。先生が自分の言葉通り抜き打ちで実施しようとするなら、金曜の試験は不可能である。しかし水曜まで試験が行われなければ、金曜の試験は不可能なのだから、木曜に行うと予想できてしまう。だから木曜の試験も不可能である。以下、火曜まで行われなければ、水曜に行うと予想できて水曜も不可能、月曜に試験が行われなければ火曜に行うと予想出来て火曜も不可能。そうなると月曜に行うと予想できるので、月曜も不可能。だから抜き打ちで試験を行うことは不可能だ。」A君は、試験実施が予告に反するものになるので不可能だと考えて週末を遊び過ごし、月曜日に抜き打ちの試験を受けることになってしまった。】
先生が予告に反した行いはしないと前提した上で、この話は「パラドックス」とは言えないのではないかと思う。まず、「抜き打ち」試験を「事前に予想されることなく実施される」試験だとしたA君の定義に問題がある。この言葉は日常的には「予め実施日を決めずに実施される」試験という意味で使われる。例えば先生が日曜日の晩からコイン投げを行い、表が出たら翌日に試験を実施、裏が出たら実施せずに晩に再びコインを投げるという方式を、水曜日まで続けるとしよう。水曜日まで裏が出続けたとすると、予告どおり週内に試験を行うためには金曜日の試験実施が必然となる。木曜に試験が実施されなかったことで学生も金曜実施を予想するだろうが、試験の予告時点では実施日が決まっていなかったわけだから、日常的な言葉の使い方として見れば、先生は予告に反することなく行動したことになる。
それでは先生が、A君の定義どおりの意味で「抜き打ち」試験という言葉を用いていたとしたら、どうなるだろう。その場合には、A君が考えたように、「抜き打ち」の試験は予告を行った時点で不可能になる。しかし同時に先生の予告は、「実行不可能なことを実行します」という、自己矛盾した言明となる。試験を実施したことで初めて誤りとなるような予告であれば、実施が予告に反すると言えるだろう。けれども最初から誤っている言明なのだから、実施してもそれに反することにはならない。試験は実施できないという、A君の結論が間違っていたために「抜き打ち」になったわけで、やはりパラドックスとは言えない。いずれにせよ、先生から「来週抜き打ちで試験をします」と予告されたら、準備はしておいた方が良い。