教員コラム 経済学専攻
最低賃金の引き上げとその問題関心について(経済学 荒井 智行 教授)
2024年10月21日
先月、8月30日の朝日新聞の朝刊の一面のトップは、「最低賃金 徳島84円引き上げ 最大の上げ幅 全国平均1055円に」(写真左下)でした。8月29日に決定されました今年度の最低賃金(時給)の改定により、日本全国の加重平均は51円引き上がり、全国平均では、最大の上げ幅となる1055円になりました。その背景には、近年の物価高や人手不足に伴う人材獲得競争が関係しています。27県が、国側が示した引き上げ額の目安を上回り、最低賃金の1000円超えは16都道府県を数えることになりました。
この新聞報道で記された全都道府県の最低賃金の公表をめぐる決定プロセスの問題については、このコラムの文字数の制限を超えることから取り上げないことにします。このコラムでは、私が山口県の最低賃金に関心に払った理由についてのみ、触れたいと思います。
私がこの記事を見て最初に思い浮かべたのは山口県でした。私は本学に着任する前に山口県の公立大学に3年間勤めたので、そこで生活していたわけですから、それは自然なことかもしれません。徳島が大幅に上昇したけれども、山口はどうなったんだろう、と最初に思いました。三方に海で囲まれた山口県の豊かな自然、雄大で歴史ある関門海峡や落ち着いて生活できる環境はとても素晴らしく、今でもそのように思っています。
私はその大学の生活協同組合の理事を2年間務めました。同組合の会議の中で、その非正規労働者の最低賃金額について、昨年度と据え置きか、あるいは10円引き上げるか否かでさえ、かなりの時間をかけて議論したことを今でも記憶しています。公共交通機関の料金や交通事情、電気・ガス、水道代等、その地域に住んでみなければ分からない諸事情があり、私が山口県に住んだ当初から、山口県の最低賃金や都道府県ごとに異なる最低賃金は問題であると、実際の感覚として感じていました。
同生活協同組合の最低賃金の額を引き上げるにあたって、県で定められているこの最低賃金を超える額を示すことはできないですし、一公立大学での生活協同組合の力だけでは、組合員の待遇・境遇改善等、さまざまな点において限界があることも事実です。山口県の最低賃金を引き上げるためには、市や県の行政による努力が不可欠ですが、それ以上に、国の力に委ねざるをえません。現在、石破政権が2020年代に全国一律の1500円の最低賃金の上昇を提唱していますが、最低賃金の引き上げについては、政府の意思決定に期待せざるをえないのです。すなわち、この最低賃金の決定においては、市場に任せればすべて上手くいく(=レッセフェール)ということではなく、政府が市場に関わらざるをえないのです。
私がいた頃の2018年当時の山口県の最低賃金は829円でした。今年度の最低賃金の引き上げにより、同県の最低賃金は979円にまで上がりました。現在の物価高の状況や1000円を超えている都道府県がある中とはいえ、その時と比べて最低賃金が150円も上がったことは、それなりの思いがあります。
さて、冒頭で触れました徳島県の最低賃金の引き上げについて話を戻したいと思います。もし私が愛知県で生まれ、一度も県外に住むことなく、県内で就職し今まで県内に住み続けていたら、今回の84円上昇した徳島県の最低賃金の報道について特に関心を向けただろうかと、ふと頭をよぎりました。もちろん、研究上、今日の非正規雇用の増加や格差問題に注意を払っているため、そうした報道について無関心ではいられません。ですがそうではなく、県外の最低賃金について、頭の中での思考による関心ではなく、実際の肌感覚として把握・認識によって関心を示すことができたであろうかということです。それはいわば、徳島県に住む非正規雇用の人々の思いを、自分のこととして、感情に訴えるような感覚というものです。もしその場所に住んだことがあれば、そこで一緒に働いた人や友人だけでなく、そこで何か物を購入した店員の方であっても具体的なイメージが湧かなくても他人事ではいられなくなる感覚です。そうした感覚というのは、イギリスの経済学の歴史上に流れるコモン・センス(common sense)=共通感覚やモラル・センス(moral sense)=道徳感覚という思想に関わる考え(道徳哲学(moral philosophy)を想起させます。
もちろん、山口県で過ごしたわずか3年間の経験だけでは、徳島県やそれ以外のすべての都道府県の各地域の最低賃金について関心が及ぶわけではないかもしれません。それでも今回の徳島県の最低賃金の上昇の記事から山口県の最低賃金のみならず、九州、中国地方の各県の最賃についても即座に関心が向かいました。今回の最低賃金の改定で、山口県の隣りの福岡と島根はどうなったんだろう、そう思いながらこれらの県の最低賃金が示された記事の図にも自然に目がいきました。九州や中国地方の各県の最低賃金に私が特別の注意を払った重要な意味は、それらの各県の最低賃金についても「自然に」関心が向いたということかもしれません。そのように考えると、山口県で過ごした経験は、本や文献による机上の知識だけでは得られない、自分を成長させるかけがえのないものだったと感じます。
もちろん、東北地方やそれ以外の各地域の最低賃金にも関心を向ける必要があることは言うまでもありません。山口県のみならず日本全国での非正規雇用の増加も深刻化を増しています。世界の先進諸国と比べてきわめて低い日本の最低賃金はきわめて深刻な問題であると言わざるをえません。それは所得の問題だけでなく、そこで働き生活する人々の尊厳も守られる必要があると考えるからです。中小企業を始めとする労働コストの問題や各地方での少子高齢化社会での各企業の経営難の問題等、最賃の引き上げにおいて検討課題が多いことは言うまでもありません。それでも、ぎりぎりの最低額の賃金だけでは、働くことだけで精一杯で、その人の生活が保障されないだけでなく、その人の尊厳も保たれていないことを意味します。経済学の歴史上においても、人々の生存だけでなく愉楽(深い楽しみ)も重要であると、各時代の経済学者によって論じられてきました(この点にご関心がある方は、昨年出版されました、柳田芳伸編『愉楽の経済学』昭和堂、2023年.(写真右下)をお読み頂けますと幸いです。私もこの本の第3章を担当しています)。
最低賃金の引き上げは肝心だと考えますが、それを社会科学の問題として認識するためには、自分が住んでいる場所以外の都道府県への注目や関心があってこそのことと思われます。自分が住んでいる県だけが良ければそれでよいと思うことは、経済や社会を見る視野を著しく狭くさせることでしょう。誰もが生活が保障され尊厳ある経済や社会を作っていくためには、まずは全国一律の最低賃金を可能な限り早く大幅に引き上げることが重要だと考えます。そのように考えるためには、同じ県に住む自分たちの家族や友人だけでなく、他の都道府県に住む人々にも関心を向けることができるかどうか、が大事なことではないでしょうか。それは、国境を越えて、国際社会におけるさまざまな問題に関心を向けることについても同じことがいえるのではないかと思われます。
『朝日新聞』2024年8月30日朝刊(写真左)
柳田芳伸編『愉楽の経済学』昭和堂、2023年(写真右)