教員コラム 経済学専攻
産業政策のあり方(経済学 蔡 大鵬 教授)
2024年02月15日
産業政策は、「産業間あるいは産業内の資源配分(産業構造の転換を含む)を行うために有用なあらゆる政策」と定義されている。※1近年、世界的に産業政策の復権が見られており、現時点の主な焦点は半導体やEV・蓄電池などのいわゆるハイテク産業である。特に半導体生産メーカーの工場への巨額投資に対して、各国政府が補助する事例が多く見られている。※2国内でも、半導体製造メーカーのTSMC社は国内メーカーと共同で熊本に複数の半導体工場の建設を進め、経済産業省から多額な助成金を受けている 。
経済学ではこうした産業政策を正当化する主な理由として、規模の経済性や技術のスピルオーバー効果などに起因する市場の失敗が挙げられる。※3半導体産業は、半導体材料メーカー、半導体製造メーカー、そして半導体製造装置メーカーに大きく分業されており、それぞれが膨大な設備投資が必要であるため、規模の経済性が特に顕著である。補助金などで企業の規模を拡大させ、また技術開発をも刺激させられるのであれば、確かに社会余剰を改善できる。しかし、企業が世界市場で競争を行う場合、こうした補助金は、国際競争への戦略的介入となり、外国企業の利潤を自国企業にシフトさせ、世界市場における自国企業の優位の確立に貢献することもある。こうした政策は、戦略的貿易政策にほかならないが、その多くが外国による報復を呼び、結果的に政策を実施する自国とそれに報復する外国ともに「囚人のジレンマ」に陥れ、ともに損するような状況になってしまう。現況では、「地政学的対立」など経済安全保障の観点を抜きにして、経済学的にのみ考えると、すでにこうした状況になったのではと危惧している。
では、産業政策のあり方をどのように考えるべきか。政府の役割から考えると、「Society 5.0」(超スマート社会)やカーボンゼロ社会の実現のために必要となるコア技術の開発や人材の育成には、個々の企業の努力だけでは足りず、国家レベルでの資金供給も必要となることが言うまでもない。※4ここで、政府に求められているのは、有望な次世代技術シーズの育成であり、また、それらを生み出す基礎研究や教育への強力な支援である。※5一方、企業に求められているのは、創造された技術を既存技術と統合し、魅力的な製品やサービスに仕上げ、迅速かつ広範囲に普及させることである(西條 2021)。
2022年には、アメリカでは、CHIPS and Science Act(CHIPS法)が成立した。その内訳として、「半導体生産支援インセンティブ」のため約390億米ドルを確保し、TSMC社がアリゾナ州に設立する工場などに助成する。また、国立半導体技術センター(NSTC)の創設、国立先端パッケージング製造プログラム設立や米国半導体製造研究所の設立および研究開発には、約110億米ドルを拠出している。さらに、同法では、幼稚園から大学院までのSTEM(科学・技術・工学・数学)教育と訓練への新規および拡大投資のための予算も確保している。
経済を前進させるには、イノベーションが不可欠でだが、CHIPS法のように、政府が技術・人的資本の基盤を整え、民間がその上に立って実際の製品やサービスに組み込むことがどうしても必要である。官民のどちらが主役であるかという議論よりも、諸政策の有効性や妥当性を検証した上で、両者の連携をいかに図るかが、産業政策の成功への基本的な鍵であると思われる。
日本でも、2021年に、経済産業構造審議会で『経済産業政策の新機軸』が発表され、産業政策の在り方についての議論が現在、活発なものになっている。社会・経済環境が大きく変化する中で、これをきっかけにして、経済学による産業政策の再検討を期待している。
※1: 大橋弘、『産業政策の経済学: 人口減少・デジタル化・産業政策』、日本経済新聞出版、2021年、218ページ。
※2: これらの外国のハイテク企業による直接投資に対する補助金の経済効果については、拙稿("Why Do Governments Subsidize R&D-Intensive Foreign Direct Investment?"(共著),Economic Modelling, Vol. 129, 106550(2023年))を参照してください。
※3: 産業政策の経済分析は、(伊藤元重、清野一治、奥野正寛、鈴村興太郎、『産業政策の経済分析』、東京大学出版会、1988年)などを参照してください。
※4: 西條都夫、「技術革新めぐる「国家の復権」――官民の力、結集が不可欠に」、『日本経済新聞』、2021年7月5日。
※5: Daron Acemoglu, "Letter from America: When industry means hard work," February 25, 2023, available at https://res.org.uk/newsletter/letter-from-america-when-industry-means-hard-work/