教員コラム 経済学専攻
組み合わせゲームと必勝法(経済学 上田 薫 教授)
2022年09月30日
数年前から学部のゲーム理論の授業の何回かを使い、リバーシやチェス、将棋などに代表される対戦ゲームの話をしている。こうしたゲームでは二人のプレイヤーが交互に自分の「手」を決めていく。各手番では、そこまでお互いが選んだ手は全てわかっている。また(ルールが適切に設定されていれば)有限回の手数で勝敗が決まる。こうしたゲームは組み合わせゲームと呼ばれるが、分析の主要部分が必勝法に関するものなので、興味を持ってもらえるようである。その基礎にあるのがツェルメロの定理で、数学的帰納法の簡単な応用なのだが、強力な含意を持つ。すべての組み合わせゲームについて、先手必勝のゲームなのか、後手必勝のゲームなのか、引き分けに終わるゲームなのか確定できることを示しているのだ。引き分けがないルールのゲームなら、先手ないし後手に必勝法があることになる。
ただしツェルメロの定理は必勝法が存在していることを示すだけで、それが具体的にどのようなものかを教えてくれるわけではない。特定の組み合わせゲームについて必勝の手順を求める分析を完全解析と呼ぶが、多くの場合に大変な計算の労力が必要であり、成功した例(チェッカー(引き分け)や6×6のリバーシ(後手必勝)など)は限られている。
では、完全解析が終了した対戦ゲームは、ゲームとしての意義を失ってしまうのだろうか。必勝手順など知らない素人同士ならば楽しめても、達人同士ならば先手か後手かが決まった段階でどちらが勝つかわかってしまうので、プレイする意味はないという話になるのだろうか。そうとは限らない。なぜなら、対戦ゲームの魅力は勝ち負けだけで決まるものではなく、勝負がつくまでの手順も重要な要素だからである。必勝の側の各局面での手は、その必勝法によって限定される。しかし負ける側がどのような負け手順を選ぶかによって、ゲームの進行は様々に異なったものになる。仮に将棋が後手必勝のゲームだったとして、いきなり先手の王将が後手の歩の頭に突撃するような手順を選べば、ゲームとしての面白さは台無しである。完全解析が終わったとしても、負ける側の手順次第で必勝法から導かれる展開がどこまで興味深いものになるかという評価の問題は残る。それは論理だけにとどまらない、ゲームを楽しむ人間の感性の問題になるのである。