教員コラム 経済学専攻
経済学専攻 林 尚志 教授
2021年06月15日
「直接投資と途上国の誘致政策(その2):悪玉から善玉へ?」
前回は、自身が経済学専攻で担当する「開発経済学」や「日本・アジア経済関係論」と関連づけながら、『戦後、"先進国企業"による途上国への"直接投資"が、各国の経済発展や人々の生活に功罪相半ばする形で大きな影響をもたらしてきた』という点を紹介しましたが、今回は、「彼らの"善悪"を左右する最大の要因は、実は先進国企業の方にあるのではなく、途上国自身の側にあるのではないか」という議論を紹介しながら、「途上国政府による"直接投資誘致政策"のもつ意義」について考えてみましょう。
<"悪玉"から"善玉"への潮流変化>
第二次大戦後1970年代頃までは、多くの途上国で、「先進国企業は、途上国経済を支配して国民から利益を搾取する"悪玉"」とみられることが多かったのですが、1980年代以降その状況が徐々に変化し、最近では「先進国企業は、地域の発展や雇用を支える"重要な担い手"」とみなされることが増え、彼らが行う直接投資が、途上国政府により、補助金の支給や税金の免除等による優遇措置を用いて積極的に誘致されることが多くなりました。そして、この潮流変化の背景には、「"先進国企業"が急に"善玉"になった」というよりはむしろ、以下で述べるように「途上国の産業育成政策が、いわゆる"内向き型の政策"から"外向き型の政策"へと転換した」という点が、より大きな意味を持ったと考えられます。
<"内向き型の政策"と"悪玉論"との関わり>
"内向き型"の政策の時代には、国内企業を保護するため、海外からの工業製品輸入が制限されたのですが、まず、この時代に先進国企業"悪玉論"が生じやすかった理由としては、以下の点が考えられます。
すなわち、戦後多くの途上国は、戦前の植民地体制から政治的に独立し、経済的自立に向けて産業の育成を目指したのですが、当初は、"卓越した企業家"が限られる中、政府に近い有力者が直接関わる形で"限られた数の現地有力企業"が設立され、しばしば外資系企業も、これら有力企業との合弁企業等の形で途上国に進出することとなりました。そして、これらの"有力企業"は、いきなり海外からの輸入品とは競争できないと考えられたため、国産化の推進に向け、「海外からの競合製品輸入の制限」という形で守られる一方、機械設備や原材料等を外国から輸入する際には限られた外貨を政府から優先的に支給してもらう等の形で、手厚い保護がなされることとなったのです。
このような"保護政策"は、確かにこれら企業の存続にはつながったのですが、「先進国企業"悪玉"論」が論じられる背景ともなりました。すなわち、十分な企業間競争がない中、これら企業では一定の利幅が確保されるよう製品価格が高めに設定されたため、これら製品の販売量は伸び悩み、生産や雇用の伸びも不十分なものにとどまりました。そして、生産規模の拡大が進まない中、高価格の販売から得られた利益は国内で再投資されず、外資系企業の本国である先進国に多くが送金されることになったと考えられるのです。
<"外向き型"への政策転換と"善玉論"の広がり>
一方、1980年代以降、多くの途上国において、"手厚い保護"のコストを払って特定の有力企業を育成する"内向き型の政策"から、その国で輸出可能な部門を地道に育てる"外向き型の政策"へと産業育成政策の転換がみられる中、先進国企業の位置づけが徐々に"悪玉"から"善玉"へと変化していった点については、以下のように説明されます。
すなわち"外向き型"の政策は、1960年代に、当時政治的に危機的状況にあった台湾と韓国、シンガポールにおいて、危機を脱する"窮余の一策"として始められた側面がありますが、これらの国では、"内向き型"の政策のもとで始められた各種保護政策を続ける余裕がなく、短期間に国内の雇用と輸出を拡大することが喫緊の課題となりました。そこで、国内で多く存在していた「低賃金労働者」を集約的に用いる繊維や雑貨等、"労働集約型の産業"を中心に、雇用と輸出の実績に応じて補助金を与える方法が導入されました。さらに、外資系企業にこの役割を担ってもらうべく、輸出加工区を設けて電気・ガス等の工業インフラを整備する一方、原材料輸入や加工品輸出の手続きを簡素化して、製品輸出の拡大に直結する直接投資の誘致に努めたのです。
そしてこの政策のもと、「先進国企業"善玉"論」が生じやすい状況となった点については、以下のように説明できます。すなわち各企業は、輸出を伸ばすために製品価格の低減と品質向上に努めたため、販売量が拡大し、雇用の伸びも顕著なものとなりました。さらに増産が続けられる中、得られた利益は、外資系企業の本国に送金されるのではなく、現地での設備拡大のために再投資されることが多くなったのです。
また、当初は"窮余の一策"として始められた"外向き型"の政策でしたが、台湾やシンガポール等での成功が広く知られるようになる中、1970年代からはタイやマレーシア等のASEAN諸国で、1980年代以降は中国やベトナムで、そして1990年代以降はインドやバングラデシュでと、この政策は周辺諸国に大きな広がりを見せるに至ったのです。
以上のように今回は、『「産業育成や誘致のあり方」が「直接投資が途上国にもたらす影響」と深く関わる』という点を「"外向き型"への転換」と関連づけて紹介しましたが、この点についてはさらに以下のような疑問も考えられます。次回以降はこれら疑問にも注目しつつ、「直接投資が途上国にもたらす影響」について議論を深めたく思っています。
① "外向き型の政策"にも、内在する問題点等はなかったのか?
* 直接投資の誘致にあたり、どこまで熱心に誘致を行うべきなのか?
② 欧米企業と比較し、"日本企業による直接投資"にはどのような特徴があったのか?
* その特徴を生かすにあたり、どのような工夫が進められてきたのか?
【関連する文献等】
* 小島清(1977)『海外直接投資論』
* 林尚志(1987)「二つの直接投資と発展途上国の雇用拡大」『六甲台論集』34(3).
* 戸堂康之(2008)『技術伝播と経済成長 グローバル化時代の途上国経済分析』
* 浦田秀次郎(2015)「直接投資 日本の投資と開発途上国の発展」[黒崎卓・大塚啓二郎編『これか
らの日本の国際協力 ビッグ・ドナーからスマート・ドナーへ』]