教員コラム 経済学専攻
経済学専攻 蔡 大鵬 教授
2021年04月30日
「時間」
「時間」の不思議さを感じたことがありますか。時計の針の動きを借りて、その静かな流れを測れるとしても、時間そのものに触れてみることもできなければ、その源を探ってみることもできません。「時間の正体とは何か」という難問に、長らく、哲学、物理学、生物学等に及ぶ広範囲の学問領域の研究者は、頭を悩まされてきました。
時間の概念を将来に向けると、「未来をいかに評価すべきか」、というもう一つの難問があります。経済学では、「割引」の概念を用いて、将来の価値を割り引いて考えています。利子率が10%の場合、1年後の110円は今日の100円と同じ価値だとか。この考え方に基づき、投資による費用と将来の利益を現在の価値に直して比べ、利益のほうが大きければ投資し、小さければ投資しないと判断する割引現在価値法が確立されており、企業の投資プロジェクトの評価にも広く用いられています。しかしながら、このような考え方を地球温暖化、核燃料の処理、また生物の多様性といった、人類が直面している地球規模の問題に適用すると、様々な矛盾が出てきます。例えば、10%の割引率で今日の地球全体のGNP(Gross National Product, 国民総生産)を割り引いて評価すると、200年後の価値は中古車1台分しかなりません(Heal 1998)。言い換えれば、経済学のなかで、未来そのものは全く価値がないということになります。こうなると、恩恵が遠い未来にしか及ばないような、地球温暖化を防ぐための様々な努力は、すべて無意味になってしまいます。このような矛盾から、「未来をいかに評価すべきか」という問いは、文字通り地球とわれわれ人類社会の未来を左右する最重要課題の一つだと思われます。
研究者に成り立てのころは、無我夢中でこの課題に取り込む時期がありました。奥村隆平先生(当時名古屋大学)や新田貴士先生(三重大学)と共同で、その解決には必要不可欠な基礎問題の一つである、割り引かない無限期間の最適化問題の解とその性質について探ってみました(Okumura, Cai, and Nitta 2009, Cai and Nitta 2009, Cai and Nitta 2012)。成果はいくつかあったものの、業績の欲しさに、やがて、業績になりやすい研究テーマばかりを選ぶようになり、この課題と真正面から対峙することをやめてしまいました。今思えば大変情けなかったと思います。
しかし、「時間」そのものは、片時も頭から離れず、もっともっと知りたいという欲望がずっとありました。世界大学所属高等研究院連盟(University-Based Institutes for Advanced Study, UBIAS)の目玉事業の一つ、インターコンチネンタル・アカデミアの初回のワークショップ(http://intercontinental-academia.ubias.net/nagoya)の組織委員として企画に参加した際、「TIME」というテーマを最後まで強く推した自分がいたのも、ある意味、自然な流れだったかもしれません。「TIME」ワークショップの開催準備のため、世界中を飛び回り、難しい交渉を幾度となくこなし、何とかサンパウロ(2015年)と名古屋(2016年)の2週間ずつのワークショップを無事開催することができました。2012年インドニューデリー空港の喫茶店から始まったその長い旅の道のりや道中の風景については、サンパウロ大学高等研究院のGrossmann前院長と共同で執筆したエッセイ(Cai and Grossmann 2016)に譲りたいと思います。
先日、「TIME」ワークショップが目指していたアウトプットの一つ、MOOC(大規模公開オンライン講座、Massive Open Online Course)「Off the Clock: The Many Faces of Time」が何と、6年にも及ぶ準備時間を経て、4月14日に、coursera社より正式にリリースしたとの連絡がありました。早速、受講してみると、ブラジルUbatubaのあの透き通るような青い海を背景に、親しかったメンバー達が次々と登場して、私の中で懐かしい思い出を鮮明によみがえらせてくれます。時の流れを感じつつ、一瞬、大学院時代の研究をし始めたころの初心を思い出したような気がしました。
過ぎてしまった時間は取り戻せませんが、これからの研究者人生の中に、是非、「時間」について真剣に考える時間を作っていきたいと切に思っています。
Courtesy of Institute of Advanced Studies, University of São Paulo
References
Ryuhei Okumura, Dapeng Cai, and Takashi Nitta, "Transversality Conditions for Infinite Horizon Optimality: Higher Order Differential Problems", Nonlinear Analysis: Theory, Methods and Applications, Vol. 71, No. 12, pp. e1980-e1984, 2009.
Dapeng Cai, and Takashi Nitta, "Optimal Solutions to the Infinite Horizon Problems: Constructing the Optimum as the Limit of the Solutions for the Finite Horizon Problems", Nonlinear Analysis: Theory, Methods and Applications, Vol. 71, No. 12, pp. e2103-e2108, 2009.
Dapeng Cai, and Takashi Nitta, "Limit of the Solutions for the Finite Horizon Problems as the Optimal Solution to the Infinite Horizon Optimization Problems", Journal of Difference Equations and Applications, Vol. 17, No. 3, pp.359-373, 2012.
Dapeng Cai, and Martin Grossmann, "First UBIAS Intercontinental Academia: An Unparalleled Intellectual and Interdisciplinary Adventure", IHS Newsletter (Published by the Institute for Advanced Studies in the Humanities and Social Sciences (IHS) at National Taiwan University), Vol. 11, No. 4, 2016. Available at: http://www.ihs.ntu.edu.tw/zh_tw/pub/IHSNews/?wiki=90513980
Geoffrey Heal, Economic Theory and Sustainability, New York, Columbia University Press, 1998.