教員コラム 経済学専攻
経済学専攻 井上 知子 准教授
2019年11月01日
「若い世代の環境意識」
近くの幼稚園でおこなわれた夏祭りに参加したことがある。普段から若い人たちと接してはいるが、そこにいた園児たちはさらに若く、彼らが放つエネルギーが満ち溢れる中、盆踊りが始まった。「炭坑節」が流れてくるのかと思ったら、何やら聴きなれない曲である。「みんなでへらそうCO2」という曲らしい。曲の途中に出てくる「CO2」の部分では、子どもたちが両手で「C」と「O」を作り、最後に「2」を表すVサインを出すと、会場に笑顔がはじける。この曲は、名古屋市のエコソングで、公共交通機関に乗ろう、近くに行くときは自転車で、買い物に行くときにはエコバックを持って、お出かけ前には家電のスイッチを切って、などの歌詞が並んでおり、子どもたちは各家庭でその歌詞の内容を実践する。暑いからといってエアコンの設定温度を低めにしようものなら、「地球がお熱って、先生が言ってたよ」と大人は子どもに注意される。
先日、学部のゼミ生が「先生、グレタさんの演説は聞かれましたか?」と私に尋ねた。9月23日にニューヨークで開幕した国連気候行動サミットでのスウェーデンの高校生の演説のことだ。それぞれの国で中心となって環境政策に携わっている人物が勢揃いしている中、グレタさんが彼らに言い放った "How dare you!" のフレーズはとてもインパクトがあった。この演説についての私の感想はさて置き、そのゼミ生は、「彼女の演説を聞いて猛省した」そうである。グレタさんに温暖化対策に消極的だと怒られたのは、将来世代の不利益を軽んじたまま環境からの恵みを享受し続けている人たちであって、若い世代が怒られたわけではないはずなのになぜ?と思ったが、そのゼミ生曰く「高校生が若い人の利益について国連の大舞台で力強く発言しているのに比べ、自分は何もできていない」ことが理由らしい。そのきれいな心に私ははっとさせられた。物心ついた頃から環境について丁寧な教育を受けて育った人たちは私たちの世代とは全く違う感性を持っている。そういう人たちが、大学、さらに大学院で学び、自分に何ができるのかを模索して社会に巣立っていけば、うまく進まない温暖化の問題にも希望が持てるのではと思えた瞬間であった。
いまの大学生は1997年に京都議定書が採択されたとき、まだ生まれていないか、生まれて間もなくである。京都議定書が採択から批准までに8年かかったのに比べて、パリ協定は2015年12月にCOP21(パリ)で採択されてから1年で発効した。また、パリ協定の時代には環境への取り組みは先進国中心におこなわれるのではなく、途上国や新興国でもおこなわれ、さらに、環境政策が受け身で現状対処的なものではなく、国の経済成長に資する新たな挑戦としてとらえられるようになっているために、いろいろな国や地域で、EV化などの環境への取り組み、そして、カーボンプライシングなどの環境に配慮した制度の設計と構築が加速している。グレタさんの演説を聞き、またゼミ生の話を聞いて、年末にチリのサンディエゴ※でおこなわれるCOP25が若い世代に何を提示できるのか、会議の結果に期待と緊張を感じた。(※本稿執筆時点:その後、開催国がスペインのマドリードに変更された。)