教員コラム 経営学専攻
経営学専攻 後藤剛史 准教授
2020年10月01日
虚偽広告と虚偽申告
どんな企業も,自社の製品やサービスを販売するときは,少しくらい色を付けたいと思うものです。他社よりも優れたものと信じてもらうことにより価格競争を免れることができますし,なにより,消費者の支払意思額も増えるはずです。
しかし,それを,虚偽の事実の提示をつうじて行なうのは,社会的に許されるのでしょうか? 「そんなことは許されないのが当然だ,じっさい,日本には景品表示法があるじゃないか」という答えが返ってきそうです。1960年に,ある企業が鯨肉の缶詰に牛肉のラベルを貼って販売したことがありました。このニセ牛缶事件こそが,景品表示法制定のきっかけだとされています。私の専門分野である「法と経済学」は,例えば先の問いに対して,景品表示法があるという答えで議論を終わらせるのではなく,ああでもなくこうでもない,と経済学という分析道具を使って考えていく,そんな研究分野です。
いま,1単位900円の費用で製造できるある企業の製品に対して,Aさんは2000円,Bさんは1500円,Cさんは1000円だけ払ってもいいと考えているとしましょう。これらの金額が消費者の支払意思額と呼ばれるもので,消費者がその製品から得られる効用を反映しています。この場合,すべての消費者の製品からの効用が製造費用を上回っていますので,すべての消費者に製品が行き渡るのが社会的に効率的となります[1]。ところが,この企業が競争にさらされておらず,好きなように価格を設定できる場合,すべての消費者に製品は行き渡りません。企業が価格を2000円と設定すればAさんにだけ製品は売れて企業の儲けは1100円,価格を1500円とすればAさんとBさんに製品は売れて儲けは1200円,価格を1000円とすれば全員に製品は売れて儲けは300円となり,企業は価格を1500円とすることを選ぶからです[2]。ゆえに,2人の消費者にしか製品は行き渡りません。
ここで,この企業が虚偽広告で少し色を付けて製品を売り出し,それゆえにそれぞれの消費者の支払意思額が1000円ずつ増えたとします。このとき,企業がつける価格の候補は3000円,2500円,2000円ですが,先と同様に企業利益を求めれば,企業が価格を2000円に設定することがわかります[3]。よって,製品はすべての消費者に行き渡ります。つまり,虚偽広告は「製品の社会的に効率的な生産量」を導くのです。これを小難しく言うと「虚偽広告であっても,それが不完全競争による過少生産を解消する場合がある」ということになるのですが,もちろん,それぞれの消費者はいくばくかの被害を受けており(Aさん,Bさんは虚偽広告のないときよりも高い価格を支払わされていますし,Cさんは彼にとって真の価値が1000円しかないものを2000円で買わされています),これをどう救済するか,という法律上の問題が依然としてあります。この救済ルールのあり方を経済学的に検討するということが,最近の私の研究テーマです。
ここで,虚偽広告によるCさんの損害額についてもういちど考えてみましょう。彼の損害額は,虚偽広告のもとで彼が支払った価格と,虚偽広告がなかったときに彼がその財に対して持つ真の価値の差額である,と法律で決めたとしましょう[4]。ではいったい,その真の価値をどうやって測るのでしょうか。もし損害額に等しい金額を賠償してもらえるのなら,事後的には,誰でも真の価値を低く申告して,つまり,虚偽申告をして,たくさんの金額を賠償してもらおうとするのではないか?
このことについて,私はずっと悶々としていたのですが,前回の西森先生のコラムを読んで,AIの発達で完全な嘘発見器が登場する日が来るのなら,そんなことを悩む必要がないのかもしれないと思わされました。しかも,AIで虚偽申告が防げるのなら,きっと虚偽広告も防げるのです。しかし,広告の方の多少の虚偽なら,社会のために良いことかもしれないことは先に示しました。嘘をAIで防げるとしても,すべて防ぐことが最適かどうか。「最適な嘘」について考えるという課題が,経済学にはまだ残されていると思いたいところです。
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[1] 例えば,Cさんに製品が行き渡らないと,取引からの純便益100円(効用(1000円)と製造費用(900円)との差)が社会に生み出されません。
[2] (2000-900)×1=1100,(1500-900)×2=1200,(1000-900)×3=300.
[3] (3000-900)×1=2100,(2500-900)×2=3200,(2000-900)×3=3300.
[4] Cさんは虚偽広告がないときには製品を売ってもらえなかったはずなので,価格差を損害額と考えるわけにはいきません。他には,たんにCさんが虚偽広告のもとで支払った価格を損害額とする,という法律も考えられます。