教員コラム 経営学専攻
経営学専攻 湯本祐司 教授
2020年07月31日
経済の暗黒大陸
流通を「経済の暗黒大陸」と表現するのを知ったのは確か私の院生生活の後半、1990年前後のことだったと思う。当時は気鋭の経済学者達がこぞって日本の流通に経済学の分析ツールで光を当て始めた時期であり、たとえば彼らによって1冊の書籍にまとめられた『日本の流通』(東京大学出版会)は「ながらく経済の暗黒大陸と呼ばれてきた日本の流通に対する関心が高まっている」の一文から始まっている。
そもそも流通を経済の暗黒大陸と表現したのは、著名な経営学者ピーター・ドラッカーである(論文の和訳は1964年にダイヤモンド社から刊行された『経営の新次元』に所収されている「経済の暗黒大陸"流通"」)。彼がそう表現したのは、遅れているからという理由もあるが、同時に非常に分かりにくい、分かっていることが少ないという理由が大きかったという。
あれから30年。情報通信技術など様々なイノベーションを取り込み、流通は大きく変貌している。そのなかで中小の小売商や卸は激減し、流通は短くなり、流通系列化や経済の暗黒大陸という言葉はほとんど聞かれなくなった。
ではなぜ久しぶりに経済の暗黒大陸という葉を思い出したかいうと、最近、文化人類学者の小川さやかさんの『チョンキンマンションのボスは知っている-アングラ経済の人類学』(春秋社)を読んだからである。今年の6月に河合隼雄学芸賞と大宅壮一ノンフィクション賞を受賞したこの作品は、これまで私たちにはほとんど知り得なかった香港チョンキンマンションのタンザニア商人達のビジネスやコミュニティの仕組みを克明に描きだしている。交易人や難民も巻き込んだ独自の互助組合やSNSを利用したシェア経済など合理的でクールで互いに頼り合わないが愛のあるその仕組みに加えて、彼らのしたたかさといい加減さにも驚かされる。
この作品を読んで他にもうひとつ思い出した言葉がある。それは多くの経営者が座右の銘としているといわれる「商人の道」という詩である。そのなかで商人は、「不安定こそ利潤の源泉として喜ばねばならぬ」「冒険を望まねばならぬ 絶えず危険な世界を求めそこに飛びこまぬ商人は利子生活者であり隠居であるにすぎぬ」「何処からでも養分を吸いあげられる浮草でなければならぬ 其の故郷は住む所すべてである 自分の墓所はこの全世界である」「我が歩む処そのものが道である 他人の道は自分の道でないと云う事が商人の道である」と綴られる。チョンキンマンションのボスと彼らコミュニティのメンバーは、まさしく商人である。