教員コラム 経済学専攻
経済学専攻 西森 晃 准教授
2020年09月15日
AIの進化が経済学を変える
我々の経済活動の前提は,便益を受けるものがその対価を支払うということである。
今から四半世紀ほど前の話。私は大学院生で,まだ携帯電話もインターネットも普及していなかった時代である。通信手段はもっぱら固定電話であった。あるとき,「院生会でお金を出して,研究棟に公衆電話を設置してもらおう」という意見が出た。誰かが調べたところによると,年間1人当たり800円程度払えば公衆電話を設置してくれるらしい。それまでは公衆電話を使うためには外に出て5分程度歩かなければならなかったので,そこに不便を感じていた人たちは,良いアイデアだと盛り上がった。
しかし話はそんな簡単には進まない。特に公衆電話を利用したいと思っていない人たちは,「なんで俺らまで800円払う必要があるの?」という(まっとうな)疑問を投げかけた。そしてこう言った。「そんなの使う人たちだけで負担しろよ」
それからいろいろな議論の後,結局この話はうやむやになった。今思えば,そのすぐ後に携帯電話の爆発的な普及が始まったので,あのタイミングで公衆電話なんか設置しなくて正解だったのだが,それはさておき,これは公共財の供給問題として国防からマンションの共同エレベータまで,いろいろなコミュニティで発生する問題である。
公共財のようにみんなで使う財は,費用の負担主体を明確にするのが難しい。「みんなで使うものだからみんなで平等に負担すべきだ」という意見が出る一方で,「使いたいと思う人から率先してお金を出せよ」と言う人もいる。これに対して経済学は答えを準備していて,後者の考え方を採用すれば効率的な社会が実現することがわかっている。でも,その場合は使う人の便益をどうやって測定するかという問題が発生する。しょせん,我々は他人の心の内を知ることはできないのだから,その人が公共財からどれぐらいの便益を得ているのかを外から見ただけではわからない。だったら,本当は高い便益を受けていたとしても,「いや,別に俺はそんなの嬉しくないし」と嘘をついて自分の負担を減らそうとするかもしれない。
人々が嘘をつくことを前提条件として,公共財の供給ルールをどのように定めれば良いのだろうか。経済学はそういうことも考える。これに対して,いろいろなアイデアが出されてきたが,中にはクラーク(E.H.Clarke)のように,「嘘をつくことが問題なら,嘘をつかせなければ良いじゃん」と言って,人々がついつい本当の評価を言ってしまうように誘導する仕組みを提案した人もいる。そんなことができるなんて驚くしかない。こういう画期的なアイデアに触れることが経済学を学ぶ醍醐味だし,またそれを数式で証明したのを見ると経済学と数学の奥深さに心から感嘆する。私たちの世代は,経済学のこのような厳密性と応用範囲の広さに魅せられてこの世界に入った人が多い。
ところが,最近,この問題に対して大きな技術革新が起きているという話を聞いた。AIを使った嘘発見器が飛躍的な進歩を遂げつつあるというのである。眼球の無意識的な動き,声の揺らぎなどをAIが判断し,その人が嘘を言っているかどうかをかなりの精度で見分けられるようになったらしい。これが本当なら,もしかしたら近い将来,個人個人のスマートフォンに「簡単に嘘を見破るアプリ」のようなものが搭載される日が来るかもしれない。
そうなったら,経済学者を悩ませてきた制約条件が1つ消える。今まで,多くの経済学者が数十年にわたって考え続けてきた問題が,全く別の方向から解決されるのである。それは社会にとっては良いことなのだろう。経済学にとってもたぶん良いことなのだと思う。でも,「制約があるからいろいろなアイデアが出てきた」という観点からすると,少し寂しい気もする。新しい技術が生まれた後の経済学というのは,それ以前の経済学とは違った形になるだろう。良いか悪いかは別にして。
よく「AIによって10年後に消える職業」というのが話題になる。「経済学者」という職業はAIが発展してもなくなることはないと思うけど,「今までの経済学者」というのはAIによって消されてしまう存在なのかもしれない。もし今これを読んでいるあなたが,これから大学院に進んで研究者を目指そうとしているのであれば,是非そのことは理解した上で来ることをお勧めします。